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花垣武学研究会は、八卦掌を中心とした中国伝統武術を研究するサークルです。
愛知県、三重県を中心に活動中です。
花垣武学研究会 名前の由来
三重県伊賀市西南部の地名「花垣地区」から名付けました。
「沙石集」には、後一条天皇、後朱雀天皇の母、上東門院彰子が、興福寺の八重桜を京の都に移植しようとした際、南都の僧等がこれに異を唱えた為、女院はこの計画を撤回し、八重桜の原産地である予野に八重桜を移植、垣をめぐらし、桜を守らせた。それ以来当地を「花垣の庄」と呼んだ、という逸話が書かれています。
花垣の庄はそれ以来、興福寺の荘園として存続していました。
興福寺末寺、春日神社が置かれ、中世以来藤原氏の影響の強い地域となっています。
花垣ゆかりの人物
- 保田甚兵衛則宗(大身旗本、藤堂采女元則の兄)
- 藤堂采女元則(上野城代家老、一族は代々城代家老を世襲)
- 高田又兵衛吉次(宝蔵院流高田派槍術の祖)
- 榊莫山(書道家、少年期に予野上出地区に在住)
- 治田美山(日本画家)
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