中国武術は鑑賞性、実用性、そして哲学性を持つ運動であると言われ世界の愛好家により練習がなされています。実用性の中でも用法については実戦性として語られることが多いものになります。
用法は系統によっては非常に重視をするところもあります。ですが中国武術の全般的な現地感覚からいうと用法という概念を中国武術は持ってはいるもののそれほど突出して重要なものではなく、数ある中国武術の中の一要素という建付けです。
中国武術の中で共通して比較的重要視されるものに功夫という概念があり、用法は功夫ほど重要視されず場合によっては練習の雑念となってしまう場合もあります。
今回は中国武術の用法とそれが雑念になる場合などについて解説をします。
目次
中国武術における用法とは
中国の風景中国武術においてよく使われる「用法」において日本で用いられる意味としてよくあるのは単なる「招式」を人に対して使う場合のどう受けて、どう打つか、というこれだけに終始する場合が多いです。
用法とは本来、意念、勁、気の概念等あらゆるものの用い方という意味あいであるべきですが、受けて打つ、さばく、くらいの意味に使われるものになり下がっています。
用法を雑念と考える理由
中国の風景私が用法を雑念と考える理由は以下の通りです。
対して重要ではないから
私が用法を雑念として考える一つには、用法はそれほど重要ではないと思ってるというのがあります。過敵応用という実用性を中国武術は持っています。ですがそれは中国武術全体の概念の一部であり、また用法は中国武術独特のものでは全くありません。
類似の技術は他の武道や武術、格闘技も保有しており、むしろ他のものの方が用法は優れていると思っています。
用法を気にして功を練ることに目を向けることを怠れば武術の核心の習得は遠ざかります。ただの「こうしてきたらこう反撃する」しかできないただの猿真似で終わってしまいます。中国武術を練習しているのにこんな悲しいことはありません。
功夫の方が重要だから
用法は単なる使い方です。誰でも真似すればすぐに習得できるうすっぺらいものです。
さっと見て、さっと覚えて、さっと使えます。それだけの価値です。しかも中国武術以外の動作と類似性もあり、中国武術独特の用法は多くありません。わざわざ中国武術で用法を学習する意味はあまりありません。
ですが功夫という概念は中国文化独特のものであり、功夫の積み重ねはとても重要です。
用法と功夫を比較した場合、比べるまでもなく功夫が重要です。
勁の養成の優先度を下げてしまいがちになるから
用法に意識が向くと勁の養成への意識が相対的に薄くなりがちになります。用法は価値としてあまり大したものではありませんが、勁の概念は中国武術独特の概念でありそこそこ重要です。その勁の養成を差し置いて用法を練習してしまうのは惜しいです。
用法はあまり応用が利かないから
用法というものはある条件や状況においてその場合にどうするかを表したものです。条件が異なると通用しなくなります。
もし100通りの条件や状況があれば100通りの用法パターンを予め準備し練習して準備しておく必要があります。あまり応用は効きません。
一つの条件に一つの用法、となります。虚々実々の駆け引きの中で天文学的な組み合わせと条件が発生する可能性の中、それぞれに用法準備することは困難です。
中国武術における功夫とは
中国の風景中国武術では飛んだり跳ねたりという訓練や対打も行いますが、最も重視されるのは功夫です。功夫とは時間と練習の蓄積によって得られる蓄積のことを言います。
中国人は功夫とは時間である、つまり投入時間のことを功夫と言います。功夫にはほかにも卓越した技術という意味があり、たとえば武術以外にも、麺を伸ばす技術、調理技術等にも使用されることがあります。
武術好用不好練
中国の風景武術好用不好練という言葉があります。これは武術を使うのは簡単だが練るのは難しいという意味です。つまりこれは、用法や技撃として武術を考えるのは簡単であるが、その武術の功を練るには時間と理解と労力が必要であるということです。
外国人は中国武術の技撃の実用性に着目する人が多い印象ですが、中国武術の体系を育んだ中国人自身は用法は普通に簡単に体得できるものとして認識し、功を練る、武術自体の水準向上自体を重視している姿勢がうかがえます。
用法は雑念、大事なのは功夫のまとめ
中国の風景今回は中国武術の練習をする際に用法が雑念になるということについて解説しました。
中国武術を練習する際の用法の考え方について、いろいろな意見があり賛否両論があると思います。でも用法は大雑把にいうと雑念になります。そんなに大事なものでもないです。それよりも中国武術において大事なのは功夫です。
用法など準備したり考えたり練習したりしなくても、自然に、無心で動いて遭遇したことがない状況の中でやったことがない動きがとっさに適切にできるようになっていれば良いのです。それが功夫です。
用法という雑念に捕われず、中国武術を練りましょう。そして功夫の積み重ねていきましょう。