皆さんは「あいさつからすべてが始まる」、「あいさつがきちんとできないものは〇〇をやる資格はない」と言うことを聞いたことは無いでしょうか。武道を時間的に先に始めた先輩と言われる人が、時間的に始めて間もない初心者に対して言う典型的な文言の一つかもしれません。
今日はこれについて解説します。
日本人のあいさつの概念
日本人は、あいさつ、お辞儀、を「礼」として認識します。日本では、武道の練習は、道場や体育館、武道館で行うことが多く、入り口に入る際お辞儀をして入り、お辞儀をして出ることもあります。これも一応、礼の一つとされます。
また日本では「大きな声であいさつ」することが大事とされていますね。
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中国武術の練習場所や練習時間
中国武術では、練習を屋外の公園でやることが多く、ここには入口出口の概念はありません。また練習は普通は一斉には始めません。先に着いた人が自分で準備運動をし、自分の練習を行います。
老師はそこに先に練習場にいることもあれば、あとで来ることもあり、また来ないこともあります。お客さんや老師の友人が訪れれば、老師はお客さんとお茶を飲んで雑談を楽しみながら学生の練習を見ることも日常の光景です。
大きな声であいさつする事のメリット
おおきな声であいさつすれば、自分が来たということを練習生のみなさんに周知できます。(見たらわかるんですけどね)
大きな声であいさつすることのデメリット
大きな声であいさつすることは良いことかもしれませんが、デメリットもあります。大きな声であいさつすると、あいさつされた側もそれ相応に対応することを暗に求められてしまい、人の練習の腰を折ってしまいます。
自分の時間に練習場所に到着し、自分の練習が終われば去る、というのが日常のスタンスですから、先に帰る人は、また人の練習の腰を折らないようにさっと、軽く挨拶して、帰ります。これでいいと思います。
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現地で感じたこと
私は以前、台北市内に住んでおり、自分の主とする武館の他に、八歩螳螂拳の左顕富老師のところに、不定期に通い指導を求めていました。左顕富老師の八歩功夫学苑では、後輩は先輩の事を師兄と呼びますが、先輩も同じく後輩の事を師兄と呼び、お互いを個人として、敬意を払いお互いを個人として尊重するという雰囲気がありました。
もちろん、先輩、後輩、本人たちは、どちらが先輩で後輩なのか自認していますが、お互いを師兄と敬称で呼び合うことで、個人、人間としての平等と尊重を現していました。
まとめ
中国武術は、中華民族によって形成されたものであり、中華民族は漢民族を主として構成されていますが、回族、満州族など少数民族も含まれており、特に北方では様々民族が雑居しています。
日本の武道は、価値観、練習に対する姿勢について厳格に画一化し、それを練習生に求めます。挙句の果てに、「あいさつができないものは武道をやる資格はない」とか訳のわからない人が現れる始末。
中華文明は、多様性と包容力があり、さまざまな価値観、文化を持った人たちを受け入れてきました。極めて寛容な精神を持っており、異なる文化の人々が共存共栄するための知恵を持っています。
中国武術は、中華文明を背景とする人々だけに及ばず、海外、世界の人から愛され、尊敬を受け、楽しまれています。武術を楽しもうと思っている人たちの中には、あいさつが少々苦手な人もいるでしょう。あいさつというものが存在しない文化的背景の方もいるかもしれません。それも文化の多様性であり、人間の多様性です。
要は、「あいさつができないものに武道をやる資格はない」という資格は誰にもないということです。挨拶ができないだけで、中国武術をやる資格をはく奪するような考え方は、極めて狭小で器の小さい、君子にあるまじき思想だと思います。
日本の武道はどうかわかりませんが、中国武術は、おおらかで懐の広い、大陸の中華文明の中で育まれたものです。あいさつができるかどうか如きに固着せず、寛容な精神で、人間の文化的多様性を広く認め、すべての人に対し、門を広く開いています。