中国武術

武術は遊び半分でするな ~武術をもっと遊びにしよう~

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皆さんは「武術は遊び半分でしてはいけない」とか、その類のことを言われたことはありますか?武術は危険なのもだから遊び半分でやるとケガをするからそれを戒める意味で言われていることはうすうす気づいています。

私も武術の練習は遊び半分でしてはいけないと思っています。私の場合、武術は遊び半分どころかもっと遊びの要素をたくさん取り入れて練習するべきだと思っています。なぜなら武術は村落の娯楽的な一面があるためです。

練習は遊び心を大事にしなければなりません。

今回は武術の練習は遊び半分でせずもっと遊び心を持って取り組むことについて解説します。

武術に遊びを取り入れるメリット

遊び遊び

武術に遊びを取り入れるメリットは以下の通りです。

練習していて楽しい

武術を遊びとして考えて練習すると練習していて楽しいです。中国武術は護身の技術であるとともに娯楽としての意味合いがあります。テレビやラジオのない時代、武術の練習は一つの娯楽でした。娯楽は楽しいものです。苦行ではありません。

娯楽を通し、体を動かし、夢中になって日々の苦労を忘れる時間を作ることが大事です。

時間が経つのが速く感じる

武術を遊びとして練習すれば時間が経つのが速く感じます。理由は楽しいからです。人間はつまらないこと、興味がないことをしているときには時間が長く感じます。「早く終らないかな」思ってる練習は長くてつらいです。

楽しみながら体を動かせる

遊び半分ではなく武術を遊びとして練習すれば、楽しみながら体を動かせます。楽ければ自然と体が動き、時間のたつのを忘れ、練習の反復数が知らず知らずのうちに多くなります。結果、楽しくそして武術の技術が上達します。

楽しく運動不足を解消できる

武術の練習に半分より多くの遊びを取り入れることにより楽しみながら日ごろの運動不足を解消することができるようになります。運動不足解消には武術が最適であるとは全く思いません。

運動不足解消のために最適なものは武術ではありませんが、運動不足解消の選択して武術を選ぶということは特に間違っているわけでもありません。

どうせ運動不足を解消するなら、苦しくつまらないことより楽しいこと、自分が興味があることを楽しんでやろうかということです。

民間武術は文化の一部であり娯楽でもある

伝統武術は文化の一部でありそれは同時に娯楽でもあります。武術の演武は技撃的な動作をもとにしつつ演舞的な脚色が施されており、中国人の美的感性を表現しています。

テレビやラジオがない時代、演劇や武術は農村の娯楽でした。文字を読める階層は書を読んだり、文章を執筆するという楽しみがあったものの、読み書きができない階層にとって自分の体を使って楽しめる数少ない娯楽でした。

ですから伝統武術はそもそもが娯楽=遊びでなのです。我々はこれを否定することはできません。

遊びを半分より多く取り入れる練習の注意点

遊び遊び

武術に半分より多くの遊びの要素を取り入れる際には少しだけ注意しなければならないことがあります。それは以下のような事柄です。

ケガに注意

武術を練習する際には遊び心を半分より多くして練習することはとても大事です。でもそれで肝心な時にケガをしては何もなりません。

武術は遊びであり、健身の効果がある習い事であり余暇活動です。自分の体を痛めてしまうのは本末転倒です。遊びを半分より多くしつつ安全はしっかり配慮してください。

ただの遊びにならない

武術に遊びを半分よりおおく取り入れることを私はお勧めしていますが、100%遊びにしてしまい武術の要素がゼロになれば、それは武術ではなくただの遊びでしかありません。武術に遊びを入れる、とただ遊ぶは異なります。

功を練るための一つの方法論として武術の練習に半分よりおおくの遊びの要素を入れようとしているわけです。ただの遊びになってしまわないように注意が必要です。

武術は遊び半分でするなのまとめ

遊び遊び

武術は遊び半分でするなという題名でブログを書いてみました。武術は苦しみ、辛抱を伴うと思いがちですが、中国人にとっては日常生活に融合した生活の一部であるとともに現代の生活においては多分に娯楽的要素をもった活動になっています。肌感覚として私はそう思います。

苦行は長続きしません。何事も遊び半分ではしてはいけないという人もいます。私もそう思います。武術は遊びが半分程度ではだめだということです。せめて半分より多くの遊びを取り入れて武術をやろうぜという意味合いです。

武術に半分より多くの遊びを取り入れて楽しく武術をやっていきましょう。そして辛抱して我慢して苦しい思いをして脂汗をかいて練習しているライバルに差をつけよー。

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