皆さんは「礼にはじまり礼におわる」という言い回しを聞いたことがあるでしょうか。武道や習い事で、「礼にはじまり礼に終わる」特に空手や剣道、柔道等日本武道で先生から言われることがあるかもしれません。
中国武術では、特に私の運営する花垣武学研究会では、「礼に始まり礼に終わる」は当てはまりません。なぜならば、中国人にとって、礼は武術の練習時間より前から始まっており、武術の練習後も終わらないからです。今日はこれについて解説します。
日本人の礼の概念
日本人にとって礼とは、挨拶、おじぎの行為を指すものだと捉えることができると思います。これはそもそも、日本人とって、孔子が発案し弟子たちが体系化した儒教という外来文化を日本人なりに解釈し、広めた結果だと考えます。日本人は、礼をお辞儀する事、あいさつする事と考えるのでしょうか。面白い考え方です。
五常
そもそも、礼とは儒教の五常の中の一要素です。五常を簡単に説明します。
- 仁 人を思いやること
- 義 正しい行いをすること
- 礼 人間関係を円滑にすすめ社会秩序を維持するための道徳的な規範
- 智 道理をよく心得ること
- 信 約束を守ること、誠実であること
これらは中国人にとって武術を行う者だけが備えなければならないものではなく、社会全体の全ての人間が備えるべき素養であり、教養であり、一般常識です(頭頂部を剃りあげたり筒袖の服を着ている異民族には通じないかもしれないです)。
武徳
中国人は、武術家が持つべき礼節について、「武徳」という表現を使い、粗暴をを戒めます。これは、学生の粗暴を戒めると同時に、学生の粗暴により、老師自身が損害を被ることを回避するための自己防衛の知恵とも言えます。
(2024/11/21 12:03:04時点 楽天市場調べ-詳細)
まとめ
私は中国武術を以下のように解釈しています。
- 知 知識を習得し知恵を高めるもの
- 体 体を健康にし壮健な体を作るもの
- 用 実用性があること
- 美 見た目の美しさ、内面からあふれだす美学を楽しむこと
武術は、「戦闘技術」という本質がありますので、人を傷つけるために学ぼうとする野蛮で下品な人が現れないとも限りません。
日本は、武人が支配階級となっていた時代が長く続いていましたが、中国では、武人はあくまでの武官であり、中国大陸の支配階級は皇帝及び、科挙で選抜された文人官僚です。趙匡胤が後周からの禅譲によって成立した宋王朝では、1000年前の時代であるにかかわらず、文人官僚が武人を統率する文民官僚制が成立していました。
日本では武道を習い事にすることで礼を教わり、粗暴な性格が改められる、と考える方がいるかもしれませんが、多くの中国人はそうは考えません。そもそも礼を教わるために、なぜ武道という教材を習わなければならないのか、意味がわからないというのが正常の考え方だと思います。
日本の武道は先生にお辞儀をするという形骸的「礼」によって始まり、お辞儀をするという形骸的「礼」によって礼が終わってしまうんですよね。
礼を学びたければ、武術、武道をやるのではなく、文房(書斎)で四書五経の原典を読みましょう。