皆さんは、「よかいち」という焼酎のCMで「莫山先生のバクザン発言」で有名になった榊莫山という書道家をご存知でしょうか。
榊莫山は少年期を三重県名賀郡花垣村で過ごした書道家です。私の小学校と高校(当時は旧制中学)の先輩に当たります。榊莫山の書に対する姿勢を見ていくにあたり、中国武術の芸道を探求する上で感じるところがありました。今回は書道家、榊莫山について紹介し、芸道の探求のあり方についても紹介をします。
榊莫山
榊莫山(さかき ばくざん、本名:榊齊(さかき はじむ)は1926年に京都府相楽郡大河原村南大河原で生まれました。小学校は、三重県名賀郡花垣村の花垣尋常小学校に通っていました。
実家は古山村菖蒲池にありましたが少年期は家庭の事情により花垣村予野に住んでいた時期があり、古山小学校ではなく隣の花垣尋常小学校を卒業しています。花垣小学校を卒業、榊莫山は三重県立上野中学校 (旧制)に入学し、その後師範学校へ進学します。
榊莫山は師範学校在学中、学徒出陣で徴兵され、鹿児島で終戦を迎えました。戦後は教員の道を歩みつつ奈良在住の書家・辻本史邑に入門し、書の道に入りました。
日本書芸院展に出品した漢詩で推薦一席(最高賞)を2年連続で受賞するなど20代の頃から頭角を現しました。師である辻本史邑の死後は書壇から退き、その後は独自の世界の追及に生涯を注ぎました。後に榊莫山は、自分が主催する団体を立ち上げ、東大寺の管長など多くの弟子を育てます。
榊莫山は長らく大阪で活動を行っていましたが50台を超えたあたりから故郷の伊賀に戻り、伊賀のアトリエで作品を作り続けました。伊賀の自然と風景、季節に着想をもとめた作品が多く作られ、フレーズや画を添えた作品が造られました。
榊莫山は、2010年に急性心不全のため、奈良県天理市の病院で死去しました。
榊莫山の実績
1971年から大阪成蹊女子短期大学教授、近畿大学文芸学部芸術学科教授を務めていました。
宝酒造の「よかいち」のCMで有名になりバラエティ番組にも出演していました。司馬遼太郎とも親交があり、また中華文明と中国の書法、文房四宝への造詣も深いです。
榊莫山の代表的作品
榊莫山はエッセイなどを含めると100冊以上の著作があります。焼酎「よかいち」等(宝酒造)書画ラベルを製作しています。ただし本人は酒は一滴も飲めません。
- 楽(近畿日本鉄道)団体専用電車20000系「楽」のロゴ
- いちばん太鼓(NHK連続テレビ小説) 題字
- 春よ、来い(NHK連続テレビ小説)題字
- 竜馬におまかせ!(日本テレビ) 題字
- 近畿大学文芸学部芸術学科造形芸術専攻陶芸ゼミの看板、寶持窯
- メディアプルポ(関西テレビの連結子会社) 題字
- 炊飯器「本炭釜」(三菱電機)
- 伊賀の和菓子屋いせや 看板、包装紙
- 田楽座わかや 看板
- 日本料理 料り喜 看板
私の考える榊莫山が残した中国武術家に残した宿題
榊莫山は花垣尋常小学校六年の時には既に文句のつけようのない楷書を完成させていた形跡があります。その後の榊莫山の書道人生は、出来上がった既定の概念を壊し新しいものを作る本当の藝術家の道であったいっても過言ではありません。
習ったものを上手く出来るようになったらそれで出来上がりとしてしまう人はこの世の中には多いです。目標は「先生のようにうまくなることです。」というのもその類です。
この感覚で物事を練習しようとすると、自ずと最大値は決まってしまいます。箱の中で飛んでいる蚤のようなものです。
モノづくり、製造業、技術的な世界であれば、正確に書く、正確に作る、標準通り作業を行う、が良しとされます。プロの楽器演奏家でも「正確に演奏できる」は必要最低限のプロの条件であるだけです。
芸道として物事を考える場合、私はこれでは全く駄目だと思います。芸道としてこれらを考えると、それはただの「お手本の書き写し」にすぎません。
中国武術の場合、姿勢や動作、套路はただの形や動作の集合体であって、人間をその型枠にはめ込んで同じような製品を量産するような構造では練習しません。
日本語には共通語はあるが標準語がないように、中国武術も共通はあるものの厳密な標準はありません。共通的な姿勢、動作、そして套路を原則的なものとして、そこから無限大にクリエイティブに広がっていくものです。
榊莫山は、それを考えて価値を創造する、つまり今までに無かったものを作り出すべきである問題提起を中国武術家にしているように私は思います。
まとめ
今回は書道家の榊莫山を紹介しました。私はこれまで中国武術を研究し、技撃を含めて中国武術のいろいろな価値について考えてきました。中国武術には実用的価値ももちろんありますが、中国武術には芸術的価値が多分に含まれているというのが今日の見解です。
ですから、中国武術を中華武藝と表現する方もいますし、そもそもMartial Aartsとは戦闘の藝術と言う意味でありコンバットテクニックを越えた概念です。
中国武術の実用性は、肉体や器械をつかった戦闘技術にすぎず、自分や利害関係者の安全や権益を守ったりすることしかできませんが芸術的価値は無限大です。戦闘技術に括られない、創造性、文化性、芸術性、哲学性を内包しています。
伝統という束縛から武術を開放し、半紙一枚の世界に縛られない価値を今の人間が創造していくべきです。そのような目線で中国武術を俯瞰し、考え、練ることが現代のわれわれに課された課題だと考えています。