中国武術には、掌で体や拳、足等を叩く、拍(パイ)という動作があります。前腕を叩いたり、足の甲を叩くとパチパチ音がしますが、これには意味があります。
本日は、中国武術の拍(パイ)という動作について解説します。
目次
拍(パイ)の意味と目的
拍(パイ)の意味と目的については以下の通りです。
何かを打つ感覚を養成する
中国武術は一人練習のカリキュラムが充実しています。ですが、套路を練ったりするとどうしても空気を打つ場面が多くなります。この場合でも何かを打つ代わりに、自分の手のひらを打つことにより、何かを打つ感覚を養うことができます。
自分で自分の体の一部を打つわけですから、衝撃力を調整できるため、器具を打つ場合よりケガが少なくなります。器具も必要なく体一つでできるというメリットがあります。
血行が適度に促進され、手が暖かくなるくらいまでやればOKです。
慣性を打ち消す
螳螂拳では圏捶(フックのように水平に振り回すように打つ打撃)を多用します。その場合、右手だけ動かせば体が左に回転してしまい最終的にバランスを失います。その慣性を打ち消すためにも、拍(パイ)は使えます。右手でフックを撃つときに、左手で右手を迎え撃つようにすれば、左右の動作がお互いを打ち消し合いバランスが保てます。
劈(打ち落とし)でも同じことが言えます。打たない方の手をうまく合わせることにより、上下のバランスが保てるわけです。
相手を掴む
腿法(足技)を練習する際にも足の甲を拍(パイ)したり、旋風脚であれば、足裏を拍(パイ)します。これは、相手の袖や髪の毛を掴んでいる状態を模擬したものです。二起脚であれば、相手の後頭部を抑え込んで顔面や足の甲を打ち込むことができるようにすることをイメージします。もちろん襟足、袖、腕、なんでもかまいません。
- 相手を逃がさないこと
- 相手を掴んで自分がバランスを保つこと
をも目的に含みます。
衝撃を封じ込める
肘打ちや拳打等で手のひらを叩く打つ目的には、打った衝撃を相手の体内に封じ込めるという意味あいがあります。もし打たれた相手が攻撃の衝撃を緩和させるために能動的に後ろに飛び下がった場合、効いてるように見えても実は打撃は内部に浸透してない場合があります。
相手を掌で押さえ、そこに拳打、掌打、肘打を打ち込めば、相手は衝撃で吹き飛んでは行きません。その代りに、衝撃が内部に封じ込められ、「んぐっ」となるという考え方です。私もこれは試したことがありませんし、これで打たれたことは無いので原理を説明するに留めます。
攻撃しない側の手も何か仕事をするということを習慣化する
拍(パイ)をすることで、攻撃しない方の手も、何かの技撃的作用をするということを体に覚えさせます。打つ側の手だけでなく、打たない方の手も、技撃上重要な要素を構成することがこれで自然に身に付きます。これが左右互用(左右がお互いに作用する、両方を用いる)です。
排打功
掌で叩かれ続けた部位は、衝撃に対して耐性を持つようになります。肘、前腕、手首、拳、等日頃叩かれ続けた部分とそうでない部分、または左右の違いを比べてみてください。套路を練るだけでもこれだけの局部的な「排打功」(耐性をつけるための訓練)の練習が行われています。
掌自体に耐性をつける
掌で叩かれ続けた部位が衝撃に対して耐性を持つのと同様に、掌自体も耐性を持つようになります。木や柱を打つまではいかなくとも、自分で自分を拍(パイ)することにより、掌打の打撃力が知らず知らずに養われていきます。
手のひらは二起脚や旋風脚での拍打でそこそこの耐性が出来上がっています。バレーボールのスパイクを打つ要領で相手の顔面に掌打を打ち込めば、相手は目から火が出るような状態になります。
拍(パイ)自体が攻撃性動作
拍(パイ)自体が攻撃性動作です。練習の時は、自分を叩いていますが、この動きは相手を打つ動作にそのまま転用できます。
拍(パイ)が一番効果を発揮するのは相手の顔面です。上で示した通り、バレーボールのスパイクを打ち落とす勢いで顔面を「バッチーン」と打ちます。
胸部や腹部を打つ場合には「バンっ」と打つだけでは打撃力が表面で散ってしまいます。胸部や腹部を掌打で打ち込む場合には、相手の体の内部の深い部分に波紋や振動を起こすイメージを持って打ち込むようにしてみてください。
まとめ
中国武術の套路の振り付けのすべてに実用的な意味がある、と言い切ることはできません。格好をつける動作もそれなりに含まれています。すこしアレンジしなけば訳が分からないものもあります。北方人の感性がなければ分からない部分も多いでしょう。
套路を練る時には、振り付けの順番を復習して終了、とするのもいいですが、意味や体の使い方などを考えながら動くのも楽しいものです。
本日は、拍(パイ)についてお話ししましたが、このような意味合いの動作は、他の武道にもあると思います。あまり意味合いにこだわりすぎるのも問題ですが、套路を流す際に、もう一度見つめ直しをおこなうとマンネリ化を防ぐことができ、新しい視点から武術を見る契機になるかもしれません。