皆さんは、中国の中世・近世以降、中華文明を担う役割を果たした士大夫と言う階層の存在をご存知でしょうか。
本日は中国武術を理解する上で欠かせない中国文化を担う役割を果たした士大夫という階層の価値観、感覚について解説します。中国武術は戦闘技術の集大成であるとともに、中華民族の文化的価値観を形や勢に表すものです。その中華文明を理解するために、士大夫を知り、士大夫を理解することは重要です。
士大夫とは
士大夫(したいふ)とは、北宋以降の中華世界において科挙官僚、地主、文人を兼ね備えた者のことです。
士大夫の始まりと歴史
春秋戦国時代には王や諸侯の下に、「大夫」という階級があり、その下に「士」という階層がありました。大夫や士は、前漢になると郷挙里選という制度で一族から官僚を輩出させようとし、かれらはいつの日か「士大夫」と呼ばれるようになりました。
魏で制定された九品中正法により、豪族は血統と実績、素養を背景に門閥貴族に変わっていきます。中国の歴史における貴族に当たりますが、彼らは自身を「士」或いは「士大夫」と自認していました。
南朝を併合した随王朝は、誰もが官僚に慣れる科挙制度を開始したのち血統と世襲で官僚になる貴族階級は官僚から締め出され、官僚は科挙に及第した新興地主の子弟が担うようになります。
北宋を起こした趙匡胤は五代十国時代の反省から地方軍閥の力を抑え、皇帝親政と中央集権化を図るため、文治主義を徹底するため科挙制度を大きく前進させました。
科挙は男性誰にでも受験資格がありましたが、試験科目の知識を詰め込むには膨大な時間が必要で、家庭教師の招聘、教材の購入には莫大な資金が必要でした。また学問のみに集中できる環境が必要なため実査には地主階級や富豪でなければ及第することはできないのが現実でした。
明代から清代にかけ、士大夫は郷紳という階層を構成します。郷紳は地方豪族の意味合いが強調されたものです。彼らは清朝滅亡後の中華民国時代も大地主、資産家、地方の指導者としての地位を保持しましたが、国共内戦を経て中国共産党の勢力に駆逐される形で消滅しました。
士大夫の要件
士大夫の要件として必要なものはまずは学識です。士大夫は科挙官僚であることが基本ですが、官吏になったり科挙に及第しなくとも、それと同様の学識と教養をもてば士大夫とみなされ、、一族のなかで見込みのある者を指導したりしていました。
士大夫の要件は他にもあります。それは資産と社会的地位です。士大夫は地方の有力者であり指導者でもあり、地主であり資産家でもありました。
士大夫として官僚になることは、一族に莫大な富をもたらしました。科挙官僚を輩出した家は官戸と呼ばれ労役を免除されたり、罪を金で償う権利を得られたりと特権を得ることができました。彼らは報酬で得た富で一族の子弟を教育し、官僚を育てるという富の再生産を行っていました。
士大夫はまた隠遁への嗜好を持っており、山林に庵を建てて隠棲する者、官僚として業務を行いながら心は隠遁するというスタイルを確立する者も現れました。
士大夫の教養
士大夫が身に着けるべき教養があります。それらを以下に説明します。
書
士大夫にとって自分の志と教養を表すのにもっとも身近な手法は、書芸です。書を司ることは文人の職務であり教養です。書は事柄を記録するための具体的な実用性を持ちながら、その書風そのものが芸道です。文字を書き、文章を論じることが士大夫の嗜みです。
画
文人の画と言えば、文人画が有名です。文人が絵を描くことは宋代に士大夫に定着しました。文人画は士大夫の教養の一つですが、これはあくまでも職業的な技術を用いるのでなく、アマチュアリズムを求めるという士大夫の感覚を表したものであり、文人の余暇活動として浸透していくのでした。
文房四宝
文房の趣味として、硯、筆、墨、紙が鑑賞、収集、愛玩、収蔵の対象になりました。これらの生産地、ブランドの優劣を論じることが士大夫の教養となりました。
篆刻
印章を彫ることです。これも士大夫の興味関心の的となった芸術でした。象牙、牛角、軟質の石材などに篆刻を彫ることは、文人の趣味として大いに広まりました。
琴
琴は中国の楽器の中でも文人、士大夫がとくに好んだ楽器は琴です。孔子も琴を好み、歌の伴奏に使用しています。琴を奏でることを代表される音楽は、士大夫の教養として重要な位置を占めます。
囲碁
囲碁は孔子の時代からある古い遊びです。囲碁は体を動かさず静かに対局することから、これが精神活動を行う遊戯として士大夫に好まれたという背景もあると思われます。
詩
詩をつくる技術は、芸術と言うよりは士大夫に欠くべからざる基礎的教養です。科挙の進士科の試験科目においては詩を作る能力は特に重視されたものでした。まさに魏の文帝が宣言した「文章は経国の大業、不朽の盛事なり」という文章がこれを表していると言ってもいいでしょう。
茶
士大夫は喫茶にも風流を求め、茶を収集し嗜み、論じることが尊ばれました。
士大夫の感覚
上では士大夫の教養として代表的なものを紹介しましたが、以下に特に士大夫の感覚として
重要で特徴的なもの一点紹介します。
論じるが自分では実践しないこそが士大夫の精神です。
「論じるが自分では実践しない」というのが代表的な士大夫の感覚です。小人は手を動かし君子は口を動かす、という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、高尚な人間は実践をせず、論じることが中華文明では尊ばれます。
大人(たいじん)は箸と筆より重い物を持たず、袖と裾の長い服をきてそれを汚さないように日々を過ごすことが理想的な生活の姿です。これこそが士大夫の感覚、士大夫の精神です。
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まとめ
本日は中国の士大夫の感覚を紹介しました。実践を重んじ、尚武の精神が尊敬される歴史的背景を持つ文化圏で育った方には違和感があるかもしれませんが、中華文明を牽引してきた一握りのエリートの感覚というのはこのようなものです。
中国武術も中原の文化体系の中で育まれた芸道ですが、この武術が育まれた社会のエリートたちがどのような感性で生き、文化をつないできたがを理解いただけると、中国武術の理解の一助になると思います。
本日のブログが皆さんの参考になればうれしいです。