中国武術

立川談志に学べ ~生涯を理想の高座に捧げた天才~

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皆さんは立川談志という落語家をご存知でしょうか。立川談志といえば、古典落語に通じ、人生をかけて落語に挑み続けた人生を送った人物です。私はこの立川談志の生きざまに強く惹かれ、虜になっています。

今回は古典落語を生涯かけて追及した七代目立川談志について解説します。

立川談志のプロフィール

盆栽盆栽

まずは立川談志のプロフィールから紹介します。

本名  :松岡克由

別名    :家元

生年月日:1936年1月2日

没年月日:2011年11月21日(75歳没)

出身地 :東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)

死没地 :東京都文京区

立川談志の来歴

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立川談志の来歴からなぞっていきます。

立川談志の生い立ち

立川談志は1936年に東京都文京区に生まれました。小学校5年の時、伯父に連れられて浅草の松竹演芸場に行き、寄席に夢中になりました。

1952年に東京中学校を卒業し東都高等学校に進学した立川談志は、後に高校を中退し、五代目柳家小さんに入門し、柳家小よしと名乗っていました。

1954年には二つ目に昇進し柳家小よしを柳家小ゑんと改名しました。この当時、スタンダップコメディを演じる時には、赤いシャツとジーパンをまとっていました。

その後は5年後輩の3代目古今亭志ん朝や5代目三遊亭圓に楽に先に真打に昇進されるなど屈辱の日々を送ります。1963年4月に本人も真打に昇進しここで立川談志を襲名しそれ以後この名前を名乗ることになりました。

笑点を立ち上げ人気を博す

1966年には日本テレビで「笑点」の放映が開始されました。立川談志はその後、1969年まで司会者を務めました。「笑点」は立川談志が持ち込んだ企画だったのです。

彼はCMが入りやすいことを計算した上でテレビにマッチする企画を考えていたのでした。斬新な企画として始まった笑点でしたが、視聴率が落ち込み、レギュラー陣との関係が悪化した結果、最終的には企画を持ち込んだ談志自身が降板することになってしまいました。

政治家として

立川談志は1969年に衆議院議員選挙に無所属で出馬しました。結果は立候補者9名中6位で落選。1971年には衆議院選挙に全国区から無所属で出馬し最下位で当選を果たしました。その後自由民主党に入党しています。

1975年には三木内閣のもと、沖縄開発政務次官に就任しました。結局沖縄開発政務次官の在任期間は36日でした。

理由は政務次官初の仕事で沖縄海洋博を視察した際、二日酔いで記者会見に臨み、「公務と酒とどちらが大切なのか?」という質問に対し、「酒にきまってるだろ」と回答したこと、詰問する記者を退席させ会見を打ち切ろうとしたことで批判を浴びたからです。

弁明を行うために用意された衆議院予算員会を寄席のために欠席し、それによって自民党から反発をうけ沖縄開発政務次官を辞退することになりました。友人の石原慎太郎から謝罪を薦められましたが拒否をするという男気を見せています。

その後立川談志は衆議院2期目を目指して立候補をしましたが、出馬を取りやめたため、彼の政治家人生は6年で終わってしまいました。

立川流の立ち上げ

1983年、立川談志は落語協会会長であった師の小さんと対立し落語協会を脱会、落語立川流を創設し家元になりました。

癌との闘い

立川談志は2008年に喉にポリープがあると診断され、その後徐々に発声が苦しくなっていきました。その後声門に癌が発生していることが発覚しましたが彼は一度は声帯摘出手術を拒否しました。

その後呼吸困難状況が発生したことにより手術を行い声を失いました。その後衰弱が進み、2011年11月21日喉頭癌のため75歳の生涯を閉じました。

落語家としての評価

立川談志の落語家としての評価は非常に高いです。ただ師匠から受け継いだ演目をコピーするだけではなく、古典落語をして立川談志の独自のスタイルを作り上げた人物です。

古典落語と現代との乖離を常に意識し、古典落語に新しい価値を創造するために生きた人物でした。それゆえに熱狂的なファンを多数抱えていました。晩年は「イリュージョン」という概念を標榜していました。

立川談志の性格

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立川談志の芸の評価は極めて高かったですが過激な性格によってさまざまな人間と争いを起こしました。なかなか一筋縄ではいかないキャラクターとして定評があったことも事実です。

特に毒舌は痛快でした。弟子からは芸は100点だが人格は0点だといわれていたそうです。ただし弟子志願者を無下に門前払いしたことはなく、破門者もほとんどいないとのことです。

立川談志にまつわる逸話

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立川談志は個性的なキャラクターで多くの逸話を残していますが、ここではその中のいくつかを紹介します。

1992年に瀬戸内海にホオジロザメが出没した際には、なべおさみといっしょに「シャークハンター必殺隊」として鮫の帽子をかぶって現場に現れました。現地の人からは痛烈な批判を浴びたりもしています。

1995年には立川談志は自身の田んぼを持つにいたりました。談志の田んぼとして自身で田植えを稲刈りを行っていました。

立川談志の弟子たち

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立川談志の弟子は以下のような人たちです。

  • 立川龍志
  • 立川談之助
  • 立川志の輔
  • 六代目立川文都
  • 立川談春
  • 立川志らく
  • 立川生志
  • 立川雲水
  • 立川志遊
  • 立川談慶
  • 六代目立川談笑
  • 立川キウイ
  • 立川談修
  • 立川談大
  • 立川談かん

立川談志について感じるところ

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私は落語は嗜みませんが立川談志の芸道を追求する姿勢について感じることがあります。

私は中国近代武術という100年ほど前に体系が整理された格闘性という実用性においては時代遅れの概念を嗜んでいるわけですが、私は立川談志の「古典落語に広く通じ、現代と古典の乖離を絶えず意識つつ理論と感覚の両面から落語に挑み続ける姿勢」に対して強い共感を持っています。

古典落語といえば伝統芸能です。私が練習している中国武術の門派の歴史はごく新しいものですが一応分類としては伝統武術にカテゴライズされています。

日本でいうと古武道に分類されるイメージです。現代とその技術が体系化された時代の乖離を意識しつつ、その芸道自体の価値を見出し肯定し、芸道としての高みを目指していくという姿勢に敬服の念を持たざるを得ません。

立川談志の名言

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立川談志の名言には以下のようなものがあります。

  • 落語とは人間の業を肯定するもの
  • 落語とは一期一会。いつ最高の落語ができるか、自分でもわからない
  • 評価ってのは相手が決めるもんだからね。いくら俺がうまい落語やっても“おしゃべり“っていわれたらそれまでだもん
  • 美談なんて嘘くさい。ほんとの美談は恥ずかしがって出てこない
  • 俺は年寄りの初心者だからね、どうしていいかわからないんだよ
  • 自分の幸せの基準がないヤツは、イヤなヤツだね
  • 植物や動物は決してウソをつかない
  • バカとは状況判断の出来ないヤツのことをいう
  • 怒りは相手の寛容さに対する誤認
  • 学問の量にしがみつくな
  • よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。現実は事実だ
  • 己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルにまで下げる行為、これを嫉妬というんです
  • 努力して良くなるなら、世の中みんな良くなってるはずですよ。
  • 江戸の風が吹くものを落語という。
  • 酒は人間を悪くするものではなく、人間がいかにダメなものかを教えてくれるものである
  • 俺は馬鹿に嫌われるのが得意だ。
  • 己に自信のない奴が常識に従う
  • 努力とは、馬鹿に与えた夢である
  • 嫌なことはしないほうがよい
  • 快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である
  • 家に帰って立川談志という人に叱られたと親に言え! でも、まあ、てめえみたいなバカの親だから知らねえかもな!!
  • 馬鹿はとなりの火事より怖い
  • 就職なんて心配するな。 落語家になってしまえ
  • 己に自信の無い奴が常識に従う。不安を持つから動き出す。 人生なんて食って、寝て、やって、終わり。
  • 天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。 青臭いかもしれないけど、 天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ。
  • 落語は人間の小ささを大切にする。 始末の悪さ、愚かさをそのまま語る。 こういう人間の業(ごう)を肯定してしまうところに、落語の物凄さがある。
  • 酒にきまってんだろ。「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と糾弾されると
  • 人間関係は良い誤解か、悪い誤解。
  • お笑いに才能は絶対、必要だ。
  • 賢い奴は何も言わなくても解ってる。馬鹿は言っても解らない。
  • 落語は忠臣蔵の(討入りした)四十七士じゃなく、逃げちゃった残りの赤穂藩士二百五十三人が、どう生きるかを描くもんだ。
  • 煙草をやめるなんてのは、意志の弱い奴がすることです。
  • 幸運な人生の人には敗者、弱者の心情はわからない。
  • 学問とは貧乏人の暇つぶし。
  • イイ奴とは自分に都合のいい奴である。
  • 勝手に生きよう。

立川談志のまとめ

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今回は立川談志について解説しました。古典落語と伝統武術、同じ芸術でも追及するものは異なります。

ですが、これまで培われたものを継承し、それを破壊し、新しいものを創造し価値を作り出していくという考え方には共通するものを感じます。

私は古典落語そのものについては全くの素人です。鑑賞したこともありません。ですがそれでも芸道を追求する姿勢という点で感じるところがあります。

古典的なものに捕われず縛られず流されず自分の芸を作っていくということについて伝統武術を練る私たちはもっとよく考えて、先人が体系を整理したものをなぞるだけになってしまっていないかもう一度自分の芸道に対する姿勢を考えてみてください。

このブログが皆さんの武術、芸道の探求の参考になれば幸いです。

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