中国武術

中国武術上達のコツ~上達するためには己の師を疑い、己の門派を疑え~

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武道や芸術、習い事、仕事で何かを習う場合、「先輩を信じろ」「師の教えを疑うな」のようなことを指導されたことは無いでしょうか。実はこの「信じる」という行為、これは物事を「鵜呑みにする」と同じことです。

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中国武術上達には、老師を疑い、門派を懐疑する事、これこそが重要です。本日は老師を疑うことの重要性について解説します。

老師を信じることの弊害

先生と生徒先生と生徒

今回は老師を信じることの弊害から解説します。

客観性を失う

老師を信じ、同時に中国武術全体に対する客観性を失わずに公平な目線で武術を俯瞰できれば問題ないですが、老師を信じることを、老師の教示内容を唯一の正当と過信したり、最も優れているものと勘違する可能性が高いです。客観性を失うことはあってはなりません。

個人崇拝につながる

老師を信じ、老師に教わる技術体系に誇りを持つのは良いことですが、個人崇拝をしてしまえば、上と同じく客観的に物事を判断する感覚を失うことになります。

正しい比較ができなくなる

老師を信じると正しい比較と評価ができなくなる可能性が高まります。技術を深く修め、
それをより正確に把握するためには「比較する」「見定める」という行動が極めて重要です。

老師個人の人間関係まで背負う錯覚に陥る

先ほども申し上げましたが、老師を信じることは個人崇拝に繋がる危険を秘めます。個人崇拝を行う者の中には、自分自身が崇拝する対象の利害関係や人間関係を、あたかも自分自身の利害関係であるかのような錯覚を起こしてしまう者がでてきます。

老師は一人の人間、学生も一人の人間です。人格は別々、背負う人間関係も別々です。技術や理念の習得を目的とするなかで、人間関係(この場合一般的に軋轢等)を引きずってしまい自分の伸び代に制限を加えてしまうのは悲しいことです。

老師を信じる自分を愛してしまう

老師を信じる者は、信じる老師に批判の目が注がれた時、敵意をむき出しにすること、不快感を出すことがあるかもしれません。実はこれは、自分が信じる老師が貶されて不快であるという部分よりも、そんな老師を信じる自分が貶された気になっていうところから起こることです。つまり、老師を信じることに自尊心を持つということは、「老師を信じている自分が好き」になってしまうことも少なくありません。

視野と世間が狭くなる

老師を信じ、あまり老師のシステムに執着すると自分の視野を狭めてしまいます。また老師の人間関係やつながりに拘束されると世間が狭くなってしまうことも考えられます。常に全体を俯瞰する広い目線が必要です。

老師を信じることのメリット

授業をする教師授業をする教師

上記では老師を信じることのデメリットを解説しましたが、公平性を考慮に入れ、メリットにも言及します。

気が散らず一つの事に集中して取り組める

老師を信じることは一つの事に意識が集中する事につながります。よって雑念の発生を抑えつつ物事に集中しシングルタスクで技術習得が行えます。

まとめ

授業をする教師授業をする教師

本日は、老師を信じることの弊害とメリットについて解説しました。私は中国武術のレベルを向上させるために、技術と理念を深く理解し、広い見識を得て、それを発展、昇華させるためには、「己の師を疑うこと」、「己の門派を疑うこと」を躊躇ってはいけないと考えています。

私は中国武術が大好きです。大好きだからゆえに、自分の師、自分の主修している門派にさえ厳しい批判の目を向けます。自分の師と門派を超越し、客観、公平、公正な立場で、「中国(北派)武術」という概念で物事を捉え、分析、検証、評価するという方針で研究し、自分の知見、知識を深めたいと考えています。

私は師を尊敬しますが、崇拝はしません。盲信することもありません。師から教わったことは必ず自分で見つめ直し、理解できないものは暫定的に頭の中で保留にします。後々に理解できることもあります。

「門派に優劣はない」と言う考え方があります。私は実際には、門派には優劣、良し悪しはあると思っています。但しこれを語りその優劣を語るには、常に2種類以上の対象物を同じ土俵に置き、これを客観公正な観点で比較検証する必要があります。

好きだからこそ、好きなものに対し、常に厳しい批判の目を注ぎ、確度の低いものが淘汰され、信頼に足るものを取捨選択され、その過程で技術は磨かれ、優秀なものが選ばれ、競争力が高いものが出来上がっていきます。

練習者は、疑いの中でそれでも納得できる老師を何としても見つけるべきです。そして指導者は疑いの目の中でも説得力のある高い資質を持つよう努めなければなりません。そして私も、疑いの目の中でも頷いてもらえるような技量を持てるようになりたいと思い続けています。

中国武術に興味を持つ方が皆「天行健。 君子以自彊不息」(天行健なり。 君子はもって自ら彊(つと)めて息(や)まず)の精神で切磋琢磨を欠かさなければ、中国武術の業界が隆興し調和と協調が育まれると思います。

私はこれが実現することを願い、そのために様々なものを学んでいます。

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