中国武術

流 ~分断国家の中の大陸出身者の生き様~

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皆さんは「流」という小説をご存知でしょうか。

流は作家の東山彰良が書いた小説で、第150回の直木賞を受賞した小説として有名になりました。私はこの流を読んで、ものすごい衝撃を受けた人の一人です。なぜならこれまで台湾人の物語を描いた小説はありましたが、台湾に移ってきた外省人を主役とするを初めて見たからです。

流を読めば、国共内戦を経て台湾に渡った大陸出身者の彼らが思っていたこと、そして台北で生まれ育った外省人二世、三世たちの心が分かるかもしれません。

今回は「流」について解説します。

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東山彰良とは

中正記念堂中正記念堂

東山彰良は1968年生まれの小説家です。本名は王 震緒5歳まで台北市内で過ごし、その後広島で修学していた両親に引き取られ日本に移住しました。9歳には台北の南門小学校に入学しましたが、後に福岡県に引っ越して育ちました。日本には帰化せず中華民国籍を保有していています。2015年には第153回直木賞三十五賞を受賞しています。

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東山彰良の祖父と父親は山東省出身で1949年に台湾省に移り、教師となり1973年に日本に移り住んでいます。東山と言う名前は、祖父の出身地である山東省からとり、彰良の彰は母親の出身地の台湾省彰化という台湾中部の地名に由来します。

西南学院大学経済学部経済学科を卒業し、西南学院大学大学院経済学研究科修士課程を修了しています。2015年からは、非常勤講師として複数の大学で中国語を教えています。

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流のあらすじ

台北の街並み台北の街並み

流のストーリーは1975年、偉大なる中華民国総統、蒋介石が亡くった直後、、十七歳の葉秋生の祖父が殺された。誰に殺されたのか。

何のために?葉秋生にはわからなかった。彼はその後と自分のルーツをたどる旅に出た。台湾、日本、山東省。今まで聞かされてこなかった一家の歴史が明らかになる。

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流の時代背景

台北の街並み台北の街並み

ここでは流の物語の時代背景を解説します。

国共内戦

1945年日本が第二次世界大戦で連合国に降伏し、中国大陸および台湾の利権(旅順大連はソ連に返還)を放棄しました。

その後、蒋介石率いる国民政府軍(国府軍)と毛沢東が率いる人民解放軍(八路軍他)との衝突が起こり、幾度かの会戦を経て蒋介石は1949年には国民政府を台湾に撤退させ、台北に臨時首都を置きました。

1950年には馬祖島や金門島を除く諸島から撤退し、現在に至る勢力圏がほぼ確定しました。その後は人民解放軍からの金門島への砲撃作戦などがありましたが、両軍が正面衝突することなく現在まで緊張状態が続いています。

台湾国民政府

1949年、国民政府は台湾に撤退、これからの時代を台湾国民政府と呼びます。台湾国民政府は大陸各地から台湾に撤退した軍閥の集合体でそれを蒋介石というリーダーが取りまとめた政権でした。

殆どの時期は、蒋介石・蒋経国親子が総統職を歴任し、立法院議員は大陸で一度だけ行われた選挙で当選した各地区の代表が勤めていました。政府の要職は軍閥や国民党重鎮が持ち回りで担当していた時期に当たります。

この時期は、公務員採用試験に省籍枠があり、公務員は中国全省に合格人数が割り当てられていたため、人数が少ない外省人には圧倒的に有利な状況でした。これにより官僚や公共機関、将校、警察官、教師や国策企業を少数派の国民党員や大陸出身者で固め、多数派の台湾人を支配するという構造でした。

米国からの支援があり、西側の戦闘機が使え、制海権があったため文化大革命や大躍進運動で疲弊する大陸側に比べ特に空軍力は優勢で、大陸反攻により共賊(中国共産党)に支配された大陸を復興させることをスローガンにしていました。また当時は、国連の代表権は中華人民共和国ではなく、台湾の中華民国が持っており、中華民国は世界の5大国の一つでした。

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戒厳令

1949年に台湾省は戒厳令が発布されました。この戒厳令は台湾本島と周辺の島嶼、澎湖諸島に及ぶものでした。戒厳令は非法な集会、デモやストライキを防止するために施行されました。

戒厳令施行中は、国民の基本的人権や集会、結社、言論、出版、旅行などの基本的人権や結党の自由、出国の自由が制限されていました。戒厳令は1987年まで施行され、世界で2番目に長い戒厳令とされていました。

中華民国の国連からの脱退

1971年のアルバニア決議において、国際連合における中国代表が「中華民国」から「中華人民共和国」に変わりました。これにより、中華民国(台湾)は国連安保理常任理事国の座を失いました。

蒋介石の代表を国連から追放する、との本決議に抗議し中華民国は国際連合を脱退しました。中華人民共和国はアルバニア決議を根拠に諸外国に対し、中華民国(台湾)に対し国交断絶を迫ったため中華民国は国際社会でほぼ孤立することになりました。

現在も多くの国が中華民国とは正式な国交関係を持たないものの、外交関係や民間交流を継続し非公式ながら国交に近い待遇を行っている国も多くあります。

蒋介石の死

蒋介石は浙江省寧波府出身の中華民国の政治家、軍人です。保定陸軍軍官学校で軍事教育を受けた後、東京の振武学校に留学し、その後日本の帝国陸軍の陸軍十三師団高田野砲兵第19連隊で士官候補生として勤務していました。

彼は帰国後、孫文の後継者として北伐を完遂し中華民国を統一し最高指導者となります。第二次世界大戦ではアメリカ、イギリス、ソ連とともに枢軸国に勝利しますが、戦後の国共内戦で中国共産党に敗退し台湾島に撤退しました。

1950年から朝鮮戦争が勃発した際、アメリカは台湾海峡の中立化を名目に第七艦隊を台湾海峡に派遣し、台湾海峡の国共戦線は膠着状態に陥ります。1950年には蒋介石は総統に就任しアメリカの協力を経て大陸反攻を目指し体制を整えて、中国大陸の大躍進政策の混乱に乗じて反攻を企画するもアメリカの支持を得られず断念し、大陸反攻は行われませんでした。

蒋介石は1972年に肺炎にかかり一時は重篤な状況に陥りました。その後公の場に姿を現すことはなくなりました。1975年に蒋介石は死去します。彼は死去するまで中華民国総統の地位にあり、死後は中継ぎをへて行政院長であった蔣経国が総統を継承し、国体が保たれました。但しその後この体制は蒋経国が死亡した時に副総統であった李登輝が総統になった際大きく覆されることになりました。

山東省出身の祖父

主人公の祖父は山東省青島近郊の出身。国共内戦で国民党側に与してたため国府軍とともに台湾に移住。その後は迪化街で反物屋をしながら広州街で暮らしていました。好きな食べ物は水餃子。

主人公の父親

主人公の父親は大陸生まれの学校教師です。大陸出身者には公務員が多く、主人公の親もこの例に漏れません。公務員、軍人、軍属、警察官には外省人の息のかかった人が多くいます。

外省人たちの生活

台北に住む外省人一世たちの考えや生活を良く描写しています。国共内戦に敗北し故郷を離れて瘴気の蔓延する蒸し暑い南の島で、外省人たちは希望と諦めと望郷という複雑な気持ちを胸に生き抜いていまいた。

故郷の方言を話し、故郷の食文化を維持し、同郷の仲間と政治や社会情勢を語り合うことで自分たちのアイデンディティーを保持していなければ、到底やっていけなかったのだと思います。

探親の再開

大陸と台湾両岸の家族捜索は1987年から始まりました。時の中華民国総統である蒋経国総統が三親等内の血縁者、配偶者等に対する大陸への捜索の許可を決定した。これ以前は台湾当局は三不政策を取っており、故郷に帰って親族に会うことをはかないませんでした。

1987年に外省人は故郷に帰り両親や家族、親戚を探すことができるようになり、38年にも及ぶ台湾海峡の隔絶が終了しました。多くの大陸出身者が大陸で家族や親族と再会を果たし、老齢の外省人には大陸に戻り天寿を全うした人も多くいました。

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私の螳螂拳の老師の物語

中正記念堂中正記念堂

私の老師は職業軍人でした。1950年、妻子を大陸に残したまま台湾島に渡りそれから軍人生活をし、退役後はいろいろな職を転々としその後先輩にあたる将軍が開設した武術館の教務主任という仕事を得て職業武術家になりました。

日本人の学生の方が山東に老師の家族を探しに行き、青島近郊で息子と家族を見つけ、老師は家族と再会することができました。晩年は家族を台湾に呼び寄せて家族で暮らしていました。老師は最後は山東に戻り、そこで生涯を終えました。

老師は家族と再会でき、晩年には故郷に帰ることもできましたので外省人の退役軍人の中では幸せなほうだったとおもいます。中には大陸で家族を目の前で殺された方、生き別れになり最後まで家族や親族と再会できなかった方もたくさんいたでしょう。

私の老師は今も山東省青島市即墨区の銭谷山の麓に眠って我々を応援してくれています。

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まとめ

中正記念堂中正記念堂

本日は東山彰良の小説「流」を紹介しました。私が知っているのは台湾と中国の歴史のほんの一滴です。日本語で書かれた海外を舞台にした小説は枚挙にいとまが無く、また台湾の本省人の生活を紹介する物語もたくさんあります。

その中でも「流」は台湾の中の大陸出身者の目線を書いた稀有な作品です。

この作品には台湾で中国北派武術を学んだ方なら必ず知っておくべき歴史的背景が含まれています。興味のある方はぜひ読んてみてください。

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