みなさんは日ごろどのようなイメージで中国武術を練習していますか。
中国武術は中国古来から伝来したものであるということで伝統武術という名がついていますが、ほとんどの門派は古いものでも明末から清初にかけて、新しいものだと100年ほど前に体系が整理されたものです。
中国の伝統武術の歴史の実際
中国武術の歴史解説を見てみると、「中国武術の歴史は悠久であり、古来から伝承が行われて現代に至っている」という表現が見られます。ですが、具体的な年代の部分になると、だいたい明末から清初から伝説上の開祖が登場し、考証できる伝承者が登場するのは150年前ほどになるものが多いです。大雑把にいえばそうです。
そしてこの近代の伝承者、或いは、開祖が体系を整理したのが150年前から100年前の50年代にかけて、そして100年前から第二次世界大戦期にかけて普及するという流れが多い気がします。もちろんもっと古い武術もあります。またさらに新しい門派も生まれています。
実際には100年前を追いかけている
私は中国武術を練習すればするほど、自分はただ100年前を追いかけているだけだということを痛感します。どういうことかというと、練習中に発見した身体操作の感覚や打法、用法、運動の作用などについて門派の理論を参照してみたところ、すべてがすでに盛り込まれていることに気づき、愕然とします。
具体的な事例をいくつか紹介します。
体と気の運用
運気は中国武術特有の概念ではなく、導引術、気功などにもみられる中国人の概念ではごくありふれたものです。もちろん中国武術も気の運用を行います。また身体操作方法についても中国武術には他の地域の武術には見られない概念(結果は同じだとしても)をもっています。
練習に練習を重ねて、自分の体の動作の中に新しいもの、誰もできないと思われるものを探し出せたとしても過去の名人の動画を見たり、著書を参照するとそれらの概念はすでに昔の人が体現して体系化していたことがわかります。
要訣
中国武術の要訣は、最少の文字のなかに最大の意味を含め、韻を踏み、さらに個人の体格や才能によるあそびを許容するように設計されたものです。自分が研究し見つけ出したと感じたという法則も、門派の要訣を見ればすでに織り込み済みであることがほとんどです。
姿勢
中国武術には中国武術に適した姿勢があります。日本人には一見不思議な要訣があったりもします。例えば「含胸」という表現です。胸を含めると書き「すぼめる」ではないです。また抜背についても背中を張るのではなく「抜(ba)」します。
これらは、中国武術に最適な身体構造ができるように中国人の感性で最も最適な漢字を当てはめ、姿勢の要訣にしているものです。
胸を張る、お尻を突き出す、このような特定の部位に緊張を強いる動作ができるだけ省かれており、中国武術では自然でなおかつ体に負荷のかかりにくい立ち方が100年以上前に確立しています。
養生
昭和的な根性論では、スポーツは苦しく血反吐が出るほどの努力をしてこそ報われる。そのためには辛い練習をし精神を鍛えなければならないという考えがまかり通っていました。
そのせいでボディーケア、回復、休養、栄養補給などがおろそかになり、多くの優秀で才能に恵まれた若いアスリートたちが故障に悩まされ、選手生命を断たれ、世界の競争の場から退場せざるを得ませんでした。
中国武術は練と養が一体化しており、体を強健にしながら体を労わる工夫が盛り込まれています。ここはスポーツや運動において平成の後半になるまでアスリートのケア、ボディーメンテナンスが軽視され続けた日本と大きな違いです。
栄養、水分の取り方、休息 疲労の消去法、持続的で長期的な功夫のつけ方まで、経験則により体系的な方法論を確立していました。中国人は、自分たちの経験を基に、継続可能な練習方法を体系化し、100年前にはトレーニングを行う際のボディーケアについても十分考慮されたカリキュラムを構築済みであったことは敬服に値します。
技撃
中国武術の核心技術は技撃つまり攻防技術です。一対一の徒手近接格闘術として戦闘力だけを比較した場合、中国武術の戦闘技術は100年間の壁があることは否定できません。ですが100年前に整理されたものとしてはそこそこよく作られたものになっています。例えば以下のようなものがあります。
- こちらの体を傷めずに受け流す技術
- 武器と徒手で高度に共通化された動作の規格
- 最少の投下労力で最大の効果を発揮するよう工夫された打撃力の養成法
- 意識や呼吸というソフト面の高度な要求
- 実用性を維持した状態で身体の訓練体系と融合した武器操作法
- 全局面対応の多様性を認める技法
等挙げるときりがありません。
現代の中国武術家の課題
現代の中国武術を取り巻く状況には一つの問題があると感じています。それは何かというと中国武術は伝統があればあるほど良く、歴史が悠久であるほど良いという考え方の蔓延です。
中国人は「わが門派の歴史は悠久であり、古くは2000年の歴史を遡ることができる」などと吹聴するところがあるとかないとか、この傾向があります。ですが実際に広く普及している門派で年代が考証できるものは長くても300年ほどの歴史です。
古いものほど価値があると妄信し、有難がるのは自由ですが、それを妄信し時代錯誤な感性でひたすらそれを堅持するのは間違ってると思います。近代武術の多くが100年ほど前に体系が整理されたものです。失礼な言い方になるかもしれませんが、これは別の言い方をすると「昔の何処かの知らんおっさんが考えた」ものなんです。
それをそのままなぞっているだけでは時間は止まってしまいます。そして日々発展と研鑽に励むものとの差はどんどんかい離します。伝統芸能においても、現代の技術、感性とのかい離を常に意識する必要はあります。
古典落語の落語家も常に現代とのかい離を意識しながら技を磨いています。
中国武術の練習論のまとめ
今回は、中国武術の練習が、ただ100年前に整理したものをなぞるだけになってしまわないように注意することの重要性を解説しました。現実的に中国武術は戦闘技術やトレーニングの方法論ついて100年遅れている部分があります。
私は中国武術の弱点を積極的に認識するように努め、肯定し、それを意識しながらも、そして武術の奥ゆかしさを知り、先人の知恵に敬服しながらそれだけに留まらず、伝統武術の枠の中で枠をはみ出す努力を続けたいと思います。