中国武術

ほんまにやるやつはあほ ~君子動口小人動手~

君子動口小人動手

中国武術を練習している方の中には、これを使えるようになりたい、強くなりたい、いざというときには使いたいと思っている方もいるのではないでしょうか。中には他流試合のようなところに出場して、自分の強さ、武術の優秀性をアピールしたい、と思っている方もいると思います。

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中国人の感性からいうと、そういうことを考えるのは「あほ」です。ほんまにやるやつはあほだということです。本日は「ほんまにやるやつはあほである」ということについてその理由などを交え解説します。

ほんまにやるやつがあほな理由

格闘技のスパーリング格闘技のスパーリング

ほんまにやるやつがあほな理由は以下の通りです。

運動障害を負う可能性が高い

中国武術の内容を一人で練習し、自分の体力の範囲内で適切な負荷で練習すれば、おそらくは有酸素運動と同程度の体力増強効果と健康維持効果があります。

ですがスパーリングや試合形式のいわゆる「蹴り合いや殴り合い」、つまり人を叩いたり、蹴ったりする暴力ですね。こういうことをすると打つ側の自分も手首を捻挫したり、突き指したり、擦傷したりします。また打たれた場合には、脳震盪、歯の欠け、脱臼、肉離れ、鼓膜の破損、眼球への傷害などが起こる可能性があり、とても体に悪いです。

傷害が完治する場合はまだましですが、こんなことをして一生涯にわたる運動障害を負ってしまっては何をしてるのかわかりません。

護身にはややオーバースペック

中国武術の技撃体系は、純粋に「自分の身を守る」防御技術としての「護身術」としてはややオーバースペックです。なぜなら護身術は自分の身を守る技術であり、それは逃避、回避、防御の技術が主となるべきものであり、攻撃とは目の前の攻撃を排除するために使わざるを得ない場合にのみ消極的に選択されるべきものです。

ですが中国武術の中には積極的に攻撃を畳みかける技術体系を持つものものあります。また護身術としてのみ見た場合、中国武術にある技術理論や養生の概念、勁力の養成、芸術的価値の追求は不要のものとなります。

傷害罪や脅迫罪に問われる可能性

武術は技撃性を帯びていますが、それを利用して人を脅迫した場合やには脅迫罪が、格闘術として本当に使ってしまい、万が一人を傷つけた場合には傷害罪に問われる可能性があります。

傷害罪は人の身体を害する傷害行為により問われる罪であり、脅迫罪は相手を畏怖させることにより成立する犯罪のことです。脅迫罪が成立するには「一般人が畏怖するに足りる」ものであれば足ります。「殺す」、「刺す」「しばく」「どつく」「殴る」のほか、「何をするかわからない」などと暗に加害行為を示唆する発言でも脅迫罪は成立します。

中二病が治っていない

中国武術を本当に使おうと考える人は、まだ頭の中が中二のままです。中二病が治っていない状態なんです。

小柄で運動神経がない僕でも、中国武術さえマスターすれば、あいつに勝てる。痛い思いをせずに圧倒的な戦闘力が手に入る。必殺技を食らわせれば一発で倒せる、気を発を使えば一撃で仕留めることができる等、中二の夏休みはいろいろなことを考えますが、おっさんになっても同じようなことを考えていればかなりイタい感じになります。

中国武術を25年以上嗜んでいる私の経験んから申し上げると、素手格闘術としての戦闘力や近接格闘能力を高めるには、総合格闘技のジムに週3で通ったほうがかなり強くなります。講習会に行って套路をなぞっただけ、2週間に一回の練習では中国武術で近接格闘能力を上げるのはなかなか難しいというのが現実です。

武術を含めた暴力は野蛮で下品だから

武術を含めた暴力は野蛮で下品です。「武術と暴力は違う」とおっしゃる方の気持ちはわからなくはないですが、私は人を叩いたり、攻撃を防ぐ過程でやむをえず人の体を傷つけてしまうことも含めて、あらゆる行為を暴力と認識します。

特に、「箸と筆より重いものを持たず袖の長い服を着てそれを汚さないようにして過ごすのがまともな人間の生き方である」という考えや「万般皆下品、唯読書高(世の中のものはすべて卑しい、ただ学問のみが高尚である)」という価値観の中華文明の社会では、人が座って四書五経をよみ、茶を品定めし、詩を吟じ、書画を論じている傍で、飛んだり跳ねたり、蹴ったり叩いたりしている様は下品以外の何物でもありません。

物事を論じ自分では実践しないのが高尚な人間の態度だから

中華文明では、物事を論じはするが実践をしないのが教養と学識のある高尚な人間の態度であるとされています。

孔子の言葉にも「君子は口を動かし、小人は手を動かす」というものがあり、人格の優れた高潔な人間は頭と口を使って物事行い手は動かすことはなく、教養と学識がなく人格に優れない小人は頭や口を使うのではなく体や手だけを使って物事を行う、という中国人の一定の階層の考え方があられています。

ほんまにやるやつがあほであることのまとめ

格闘技の練習格闘技の練習

今回は、中国武術を練るにあたっての考え方で、「ほんまにやるやつはあほ」ということで解説をしました。芸術品においても実用にたる性能を持ちながらそれが美術品として鑑賞や収集、品評の対象となることがあります。

本来人を殺傷するために作られた日本刀も、今日われわれが見ている古刀は、実戦や試し切り等で損傷せず、大事に手入れして保存されていたものです。

  • 運動障害を負うリスク
  • 傷害罪や脅迫罪に問われるリスク
  • 中二病
  • 野蛮で下品

であることから考えても「ほんまにやるやつはあほ」です。そして何か言い訳をつけて仕事をやめて現地に行ってしまった私、私はそのあほの中の第一人者です。

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