中国武術

中国武術上達のコツ ~技術習得の精神は竹鶴政孝に学べ~

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

皆さんは竹鶴政孝と言う人物をご存知ですか。竹鶴政孝は、NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルにもなり、日本に本格的なスコッチウイスキーの製造方法を伝えた人物として有名です。

中国弓術、中国射芸
中国射芸(中国弓術)の世界 ~君子は争う所なし、必ずや射か~弓道、アーチェリー、世界には弓を使った競技がいくつかあります。中国にも伝統武術の一つとして中国弓術、射芸と言われる弓術が伝わっています。...

竹鶴政孝がスコッチウイスキーを探求した姿勢と経緯について、中国武術を嗜む者として
大いに参考にするべきところがあると感じました。

中国武術とは直接関係ない話ですが、本日は竹鶴政孝について紹介します。

竹鶴政孝

ウイスキー樽ウイスキー樽

竹鶴政孝は広島県竹原市で酒造、製塩業を営む竹鶴家の三男として生まれます。忠海中学を卒業、彼は大阪高等工業学校の醸造科に進学しました。

その後、寿屋(現サントリー)の鳥居信治郎に招かれ、山崎醸造所の初代所長として日本初の本格スコッチウイスキーの醸造に携わりました。その後は、より本格的なスコッチウイスキーを目指し、大日本果汁を創業しました。

スコットランドへのウイスキー留学

スコッチウイスキースコッチウイスキー

1918年、竹鶴政孝は純国産のウイスキーを作るため、単身スコットランドに赴きグラスゴー大学で有機化学と応用化学を学びました。

そして現地のウイスキー醸造所を見学し、ロングモーン蒸留所、ヘーゼルバーン蒸留所で実習をさせてもらうことに成功します。また竹鶴政孝はスコットランド滞在中にリタとの親交を深め当時では珍しい国際結婚結婚をしました。

榊莫山に学べ
中国武術上達のコツ ~榊莫山をめざせ~皆さんは、「よかいち」という焼酎のCMで「莫山先生のバクザン発言」で有名になった榊莫山という書道家をご存知でしょうか。 https...

帰国後

スコッチウイスキースコッチウイスキー

竹鶴政孝は妻のリタを連れて日本に帰国。帰国後はウイスキーの研修結果を報告にまとめ、純国産ウイスキーの製造に着手するも資金調達ができなかったため計画を中断していた。1923年寿屋(現サントリー)が本格ウイスキーの製造を計画、そこで竹鶴政孝を年俸四千円という待遇で招聘しました。

1923年に竹鶴政孝は山崎蒸溜所の初代所長となります。1934年、後続の技師が育ってきたこと、10年が経過した事から寿屋を退職し、北海道の余市でウイスキーを製造することを決意し大日本果汁株式会社を設立し、代表取締役社長に就任します。

1940年には余市で製造した最初のウイスキーを販売しました。1945年から筆頭株主の説得の説得をうけ、竹鶴政孝は安価なウイスキーも作るようになりますが低質の製品を作ることに拒否感を示していたと言います。このときは原酒を5%まで入れて抵抗を示しています。

ヒューム外相の言葉

スコッチウイスキースコッチウイスキー

1962年、イギリスのヒューム外相が来日した時、彼は「一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった」というイギリス風のユーモアを交えた称賛を竹鶴にしています。

套路は最終目的ではない
中国武術の練習を考える~套路の習得は最終目的ではない~皆さまいかがお過ごしでしょうか。お盆が過ぎても暑い日が続いています。田んぼの穂は黄金色になり、赤とんぼがその上を飛び交っています。季節は...

中国武術を嗜む我々が竹鶴政孝より有利な点

スコッチウイスキースコッチウイスキー

中国武術を嗜む現代の我々が竹鶴政孝より有利な点がありますのでそれを比較し紹介します。

往来にかかる時間

竹鶴政孝は1918年に本場のウイスキー醸造を学ぶためスコットランドに渡っています。当時は英国へ渡るには欧州航路を利用するのが一般的でした。航路で50日はかかる行程でした。竹鶴政孝の場合、途中カリフォルニアの葡萄酒工場の見学のため太平洋航路でアメリカ西海岸に渡り、アメリカ大陸を横断し英国に渡っています。

竹鶴政孝の時代には、欧州航路で日本とロンドンが50日間かかりました。その後開通するシベリア鉄道経由で、東京→下関→釜山→モスクワ→欧州まで20日程度かかります。

我々中国武術家が求めるものは欧州ではなく同じアジア地区にありますので簡単に比較はできませんが、天地人の地の部分で言うと相当有利なところにいます。現在飛行機での片道の所要時間は3時間弱です。午前便の飛行機で現地入りすれば、到着日の夜から練習に参加できます。

日本の会社は年末年始やゴールデンウィーク、お盆休みに7連休から10連休の会社があるところもたくさんあります。社会人生活を放棄したり、長期休暇を取らなくても年3回は普通に現地に通うことができますね。

現在は新型コロナウイルスで渡航に制限がかかっているので渡航できていませんが、普通の時は年に2回ほど台北と日本とを往復しています。また1回くらい中国の地方都市を旅行します。

 

往復費用

竹鶴政孝の時代には、欧州航路で日本とロンドンが50日間。片道50泊。2等や3等客室でも相当な渡航費がかかったはずです。当時の貨幣価値でどれだけかかったか想像をすることもできない額です。

現在の我々の渡航費はと言うと、費用は正規航空券で11万円程度。日系航空会社の1年オープンチケットで9万円程度、現地系の1年オープンチケットで7万円程度でしょうか。現地のフラッグキャリアの格安航空券のFIXチケットで往復5万円程度が相場です。春秋航空のようなLCC(ローコストキャリア)ならゴールデンウィークや年末年始、お盆でも3万円台で往復可能です。

往復に要する便の頻度

現在は、北京⇔日本、上海⇔日本、台北⇔日本、中国の地方都市と日本の地方都市を結ぶ航空便はともかくとして、日本の都市圏の国際空港と北京、上海や台湾地区の台北の国際空港とは一日何便も国際便が就航しています。

竹鶴政孝の時代はこれほどの選択肢はおそらくなかったでしょう。

現地の物価が日本より安い

日本人が中国大陸や台湾地区に学びに行くことは有利なことが他にもあります。最近では中国大陸の沿岸部の物価はかなり高くなりましたが、一般的に日本より中国大陸や大陸地区のほうが普通の界隈の物価は安いです。短い滞在で現地の人と同じような食事をとり、節約を工夫すれば少ない費用で老師の元に通うことができます。

言葉も簡単に学べる

竹鶴政孝の時代、旧制中学で英語は学んでいたはずですが、音声教材等あるはずもなく、おそらくカタカナ風の読み方で単語と文法を学ぶ程度であり、生きた英会話を聴く機会には恵まれなかったはずです。

現在我々は中国語学校で語学を学んだり、活きた会話がふんだんに盛り込まれたカラフルな教材で語学を学んだり、Youtubeやネットラジオで生きた中国語をいつでも聞ける環境の中で生活しています。

竹鶴政孝から得られる中国武術を嗜む方への啓示

スコッチウイスキースコッチウイスキー

竹鶴政孝がスコットランドに赴いたのは1918年。およそ100年前です。第一次世界大戦末期、科学技術が日進月歩で進歩し、飛行機の実用化、通信網の整備等目まぐるしい変化の時代でした。1918年の100年前である1818年と比べると、おそらく比べ物にならないほど生活と社会情勢は変わっていたでしょう。

1918年と2021年とを比較した時にもその前の100年と比較すればそれに及ばなくても、世界と科学技術と交通技術には大きな変化があります。旅客輸送を行う航空会社が登場し世界はより近くなり、異動や旅行はより身近なものになりました。

中国武術家が目指す本場は同じ東亜の中国大陸や台湾地区です。スコットランドと比べて相当に近い身近な地域。言葉の文法こそ違うものの同じ漢字文化圏。国際電話を掛けなくてもSNSで簡単に現地の老師とビデオチャットで会話できる時代です。

この恵まれた便利な時代に、「言葉が通じなさそうだから・・・」「何となく飛行機が高そうだから・・・」「食べものが合わなさそうだから・・・」とか言ってまごまごしている場合ではありません。

竹鶴政孝が100年前でに現地でつかみ取った技術と現地人の心意気、人種と文化圏が異なるところで成し得たものを現代のわれわれができないと言うことはあり得ません。

天地人
天地人 三才合い見えるとき門は開かれる昨日の冷たい雨も止み、暖かい春の風の中に初夏の日差しが差し込む季節となってきました。 https://hanagakibugaku...

まとめ

ウイスキー樽ウイスキー樽

本日は中国武術の話から少し外れましたが、日本で初めて本格的なスコッチウイスキーの製造技術を導入した竹鶴政孝について解説しました。

あなたの作るウイスキー(中国武術)は、原酒を使わずに香料とカラメル色素で作ったイミテーションウイスキーではない本物ですか?

あなたが教えるウイスキー(中国武術)の作り方は、あなた自身が本場の歴史ある醸造所で修行して手間をかけて学び取った伝統に則ったものですか?

いろいろなことを自分に問いかけ、いろいろな世情を参考にし、いろいろなことを考えてつかみ取れる者をぜひつかみ取ってみてください。

本日のブログが中国武術の高みを目指す皆様の参考になれば幸いです。

中国武術の名称
中国武術の名称の考察 ~カンフー 武術 技撃 国術~中国武術という名の武術は世間で様々な名称で呼ばれています。武術、国術、カンフー、中国拳法など様々な名前で呼ばれている中国武術ですが、これ...
関連記事