中国武術

中国武術上達のコツ ~剛と硬、柔と軟など類似概念を理解する~

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みなさんは中国武術を練習している時、老師から「動きが硬い」「放鬆!」等と言われたことはありませんか。そして硬い動きを是正すると、「力がなくなっている、ダメだ」と言われてしまう、そんな経験をした方もいらっしゃるのではないでしょうか。

力と勁
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日本語では動きがぎこちない、しなやかではない、スムーズではない、ぎくしゃくしていることを総じて「硬い」「カタい」と表現しますが、中国武術を練る中国人の中には「剛」と「硬」の概念を使い分ける方がいます。

また日本語ではフニャフニャしている、カタさがない、丸みを帯びていることを総じて「やわらかい」と表現しますが、中国語では厳密には「柔」と「軟」の概念は異なります。

今回は、日本人にはなかなか理解しにくい「剛」と「硬」、「柔」と「軟」の概念について、中国武術家が考えるものを紹介します。

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中国武術で使われる表現の概念

中国の風景中国の風景

中国武術で使われる剛と硬、柔と軟についての表現の概念について以下にまとめました。

剛と硬

剛とは硬質であるとともに適度な靭性をもった物質や力を形容した概念です。力強く且つ張りがあり、無駄な力みのない状態、粘りがある力強さに適用されます。日本語の剛と同様の概念として捉えていただいて問題ありません。

ノコギリの鋼、バネ鋼やピアノ線は硬さの数値が高く、同時にしなやかで柔軟性も持ち合わせていますね。そのような概念です。これが人間の動作の風格や打撃の表現としても使われます。

硬は剛と同じく硬質でありながら靭性を伴わず脆い形質を持ったものに適用される概念です。粘りのない金属、鋳鉄や焼き入れし焼き戻しを行っていないマルテンサイト状態の鋼がこれに当たります。

力みがある状態、固着した状態をイメージとして表現する概念です。「ガチガチに凝り固まった状態」という表現に近いです。これは套路や勁の表現としても力んで強張った抜けの悪い風格を「カタい」と表現します。

柔と軟

柔はいわゆるふわっとした中に適度な張力、弾力性がある状態を言います。しなやかな中に適度な復元力、張力、弾力が備わった柔らかさです。たとえて言うと、風船やコシのある羊毛の繊維がこれにあたり、これが中国武術の風格の表現としても採用されています。

軟はというと、反発力がない、まったくコシのない繊維などがこれにあたります。中国武術でいうと、「脱力した状態」つまり気絶している人間の四肢や、死んだ軟体動物の足のようにだらんと伸び切り復元性も示さない状態です。

中国武術では、柔な望ましい状態ですが、軟は好ましい状態ではありません。ただ筋肉を弛緩させて日本語でいう脱力しているだけのレベルの低い段階です。日本語では力を抜くことを「脱力」というそうですが、これは中国人には通じない単語です。

「脱力(Tuoli)、力を脱する??意味不明」となるならです。このような感性は、中国語では「鬆(Song)や柔(Rou)」という一文字で表せば十分なのです。

ですから「脱力する」「力を抜く」という表現をする必要すらありません。それに本当に字のごとく、脱力する、つまり筋肉弛緩剤を大量に注入し全身の筋肉が弛緩した状態(体幹部、瞳孔を調整したり、肛門を閉じる筋肉すら弛緩させてしまうような状態)では活動はできません。

また中国文明では、柔は投げ技決め技とは全く関係がない概念です。中国文明ではというよりも柔にはそもそもそのような付加的概念はありません。

類似するもの厳密には異なる概念の事例

中国の風景中国の風景

ここでは柔と軟のような、類似する概念であるもの、厳密には異なる概念の事例をいくつか紹介します。

穩定と固着

穩定(Wending)とは安定したことを指します。そしてその穩定に固執しすぎてその場に居ついてしまうと、足が地面と固着してしまい機動性を失うという弊害を生みます。

中国武術は動作や重心を穩定させつつ、霊活で敏捷性のあるステップワークで臨機応変に動くことを良しとします。「しっかり立つ」とか言われても、安定を求めるがために足がその場に居ついてしまわないようにしましょう。

霊活と浮起

霊活とは、動作が活発で素早いことを形容する言葉です。霊活には活発さ、素早さの中に統制のとれた安定感が含まれています。

霊活とよく似た概念に「浮起」というものがあります。こちらも活発な意味合いがありますが、こちらは中国武術ではあまり良い意味で形容されない概念です。

重心が浮いて、重心の安定性に欠く、浮ついた雰囲気を含んでいるからです。日本語で言うと、「腰が落ち着いていない」という風な意味で捉えることができます。

原則の遵守と固守

原則を守るという概念には遵守と固守があります。遵守は原則を守るという意味、固守は原則を頑なに守りいかなる状況でもそれを堅持するという融通が利かないイメージの概念です。

原則は遵守すべきですが、時には原則を破ることが必要な場合もあります。原則に執着し、原則を守ることを目的としてしまうと、柔軟性のある運用な原則を打ち破る型破りで斬新な意思決定ができないという弊害が発生します。

対峙する集団や個人、団体、組織が、こちらが原則の遵守をすることを前提とした作戦を立案し、それに応じた行動を行おうとする場合には、こちらは原則を打ち破った方法で対応することが効果的です。

多変と乱打

動作、戦略、戦法が変化に富むことと、乱打になってしまうことは非常に接近した概念です。

臨機応変で奇抜、変幻自在の戦法を行うことは良いとされますが、戦略的な意味がないままに稚拙でまとまりのない動作をするだけでは「乱打」とみなされても仕方ありません。

勁と力

勁と力は中国人は通常会話においては区別しない力の総称です。中国武術においても勁と力を区別しない老師もいれば、勁と力をまとめて勁と表現する老師もいれば、勁と力をまとめて力と表現する老師もいます。

概していうと、腕の筋肉に頼った力、精錬されていない力、稚拙な技術で打ち出す力を「力」と言い、整体を使って打ち出す力、高度に精錬された力を勁と分類する方が多いように感じます。速度が遅い勁もあれば、速度の早い力もあります。

閉と抱

閉と抱、よく似た概念ですが厳密には異なるものです。閉とはピタッ、ギュッとくっつけてしまうことを指します。抱とは、柔らかくくっつけるようなイメージです。例えば膝についての要訣で膝要抱というものがありますが中国人はこれを膝要閉とは絶対に言いません。

同じくっついた状態でも、絞るようにくっつけてしまうのと柔らかく接触させるのでは意味も効果も異なります。ですから「くっつける」という言葉を使うときにも中国語の意味するところを正確に認識しておく必要があります。

含と締

中国武術では胸や脇を締めてきつく固めるような要求はありません。ゆったりと尚且つ密着させる場合には、「含」という概念を用います。日本人は「脇をしっかり締めて」というような表現と動作が好きなようですが、これは中国武術の「自然」「鬆開」「舒展」という概念と相反するものです。

体を締めれば気と勁が滞り、流暢に流れなくなります。打撃に伸びがなくなり、威力の抜けが悪くなってしまいます。ですから脇を不要に開けないことを戒めるために「脇を締めて」という表現をするのは不適当です。またこの概念は肘だけではなく、膝など体の各部にも当てはまります。

含と縮

含と縮では概念が異なります。含とは外に開くとは反対に体を「まとめる」概念ですが体をまとめはするものの、すぼめているわけではありません。

縮とは、体をすぼめる概念にあたります。からだをすぼめてしまうと気と勁が滞り、あるべき張力がなくなります。ですから蓄勁ために体を含めるのはOKですが、収縮することは望ましいことではありません。

崇拝と崇敬

崇拝と崇敬は似ている概念ですが厳密には異なります。崇拝はたとえば、教祖や神を拝み奉るような姿勢のことを言い、崇敬とは敬意を持つというような態度を示します。

イスラム教では神に対しては崇拝をするが、ムハンマドは神ではなく使徒であり人間であるため崇敬すれど崇拝の対象としてはならないという風に区別しています。

始祖や先師を尊敬することは大事かもしれませんが、それらを崇拝してしまうと、疑問を持つことを忘れるリスクがあります。疑問を持ち、検証、実証、比較をするという姿勢は技術向上のために非常に重要です。

誇りと驕り

誇りと驕りも類似した概念ですが、実力に即した現実的な自尊心を誇りと呼び、実力以上の自尊心を驕りと呼び分けます。ただし中国語では双方はどちらも「驕傲」としてそれほど明確な区別は行いません。

以前出張で訪問した台湾のメーカーでも「這飛機是我們的驕傲(この飛行機は私たちの誇りです)」と言っていたのを覚えています。

原則に則った創作物とど素人の思い付き

芸術において原則を修めた人がそれをぶち壊し新しい境地として創作したものと、ただのど素人が思い付きで作った作品は一見区別がつかないところがあるものの、内包する哲学や思想、その作品に込められた想いの深みは全く違うものです。

中国武術における類似概念のまとめ

中国の風景中国の風景

今回は剛と硬、柔と軟から始まり、中国武術に関連する事項に於いて、意味が類似するものの厳密には意味が異なるものをいくつか紹介しました。

中国武術の技芸を上達させるには概念への正しい理解が欠かせません。ただとんだり跳ねたり、蹴ったり叩いたりしてるだけでは、他の武道や近接格闘技術に技撃的にかなわないのみならず、自分の健康を害することにもなってしまいかねません。

我々が練習している中国武術の多くの門派は中華民族が長年かけて創意工夫し、それが近代に体系的に整理されたものです。これをネイティブレベルで通用する内容にまでもっていくためには「振付け」「格好と「使い方」だけではなくより深い含みを吸収することが不可欠です。

今回紹介させていただいた概念は中国武術に関するもののなかでもごくごく一例にすぎませんが、武術の修練の上で参考になるところがあれば、目を向けていただければ幸いです。

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