皆さんは「君子は争う所なし」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。これは、論語の中の一句である「子曰、君子無所争、必也射乎」(子いわく、君子は争う所なし、必ずや射か)からとった言葉です。
「君子争う所なし」の概念を知ることは、中国武術や中国の君子の精神を学ぶ上で非常に重要です。
本日は「君子争う所なし」について解説します。
目次
君子争う所なし
君子争う所なしとはつまり、教養と人格に優れた者は争いを好まないものである、と言う意味です。
必ずや射か、については、争う場合があっても、弓の腕前くらいのものである、ということです。このような場合でも、品行方正に礼儀正しく譲り合い競技をし、決して恨みを残したりすることはない、これこそが優れた人格者の振舞である、と現しています。
君子争うところなしの漢文は以下の通りとなります。
漢文
子曰、君子無所爭、必也射乎、揖譲而升下、而飮、其争也君子
書き下し文
子曰わく、君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲して升り下り、而して飲ましむ。其の争いは君子なり。
現代語訳
孔子はおっしゃった。君子は争いを好まない。争うとしてもせいぜい弓の腕前くらいだろう。その場合もへりくだり、礼儀正しく譲り合い、勝負が終わっても酒を振舞い禍根を残すことはない。これこそ君子の争いと言うものである。
君子は矜(キョウ)にして争わず
君子争うところなしとよく似たものに「君子は矜(キョウ)にして争わず」と言うものがありますのでこちらも合わせて紹介します。
漢文
子曰、君子矜而不爭、羣而不黨。
書き下し文
子曰わく、君子は矜(きょう)にして争わず、群(ぐん)して党(とう)せず。
現代語訳
孔子はおっしゃった。君子は公正謹厳であるが争うことをしない。また教養と人格に優れた者は人間は誰とでも和して親しむが大勢の中でも徒党を組むことはない。
こちらは論語の衞の霊公篇にある言葉です。
他にも以下のような言葉が類似語として挙げられます。
- 君子喧嘩せず
- 金持ち喧嘩せず
中国武術家が「君子争うところなし」から学べるもの
中国武術家が学ぶべきことは中国武術の技術や理論だけではありません。中国武術家は中華文明の精神からもいろいろなことを学ぶ必要があります。中国武術家が「君子争うところなし」から学ぶべきことは以下の通りです。
無駄な争い事をしない
人に絡んだりすることは論外ですが、挑発を受けたりした時に、相手にしない、立ち去る、謙譲して引き下がる等の選択肢があるにもかかわらず、挑発に乗ってしまうことは、無用なリスクを負っていることになります。
「君子争うところなし」ということを認識していれば、人格がすぐれておらず、教養と学識がない無頼から挑発を受けても、受け流し、謙譲し引き下がる勇気を持つことができます。
これで自分が傷つくリスクを回避し、双方ともに面子を傷つけあうこともなく、穏便にことは収まります。人の挑発に乗ることは、相手の計略に自分からはまり込みに行くようなものです。売られた喧嘩も買ってはいけません。
無駄ではない争い事であっても争いには応じない
門派の尊厳を守る、等意味があり無駄ではない争い事であると、武術家が勘違いするような争い事であっても争いには応じないことです。生き残る、調和と均衡を重んじる世界では門派の尊厳など小さな世界の出来事です。
相手を盛り立て謙譲する、或いは相手が満足する何かを与えれば相手は引き下がります。引き下がってくれればお互いに争っていがみ合いをすることも、傷つくこともなくなるわけです。
つまらないことのために一度しかない人生を棒に振るのは本当にもったいないことです。
「韓信のまたくぐり」を思い出し、自分が行うべき立ち振る舞いを考えてみましょう。
無駄にリスクを取らない
争わないということを意識することで、無駄なリスクをとらない大事さが認識できます。角を立てるような言い方で突っかかったり、自分には何の関係のないことに首をつっこんで巻き込まれたり人の恨みを買ったりする。「君子争うところなし」を認識していれば避けられることが世の中にはたくさんあります。
勝負して勝つことが良いことではない
孫子の兵法に出てくる言葉で、以下のようなものがあります。「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」これは、戦わずして人を屈することが最善の策であり、実際に戦って相手を打ち破るのは損害を伴うことから良いことではないという意味です。
また大損害を被ってかろうじて得られたようなみじめな勝利よりも、損害を被らず形だけ敗北し勢力を温存するという負け方のほうが賢明な選択肢の場合もあり、雌雄を決し敵をせん滅し相手に深い敗北の屈辱と復讐の念を抱かせるようなことは決して良いことではありません。
勝負事に関わらないことが大事
中国武術は人に絡んだり、それに対処したり、勝ったり負けたり、そんなくだらない事のためにやるものではありません。そんなことには関わらず、勝負を争ったり、それにこだわったりということをしないことが大事です。
まとめ
今回は「君子争うところなし」について解説しました。人格者は無駄な争いはしない、無駄か無駄でないかに関わらず、争いごと自体をしないということです。人と勝ち負けを競ったり、人と蹴ったり叩いたりをしたり、そのような野蛮な行為は慎もうということです。
中華武芸は、人より強くなるためにある、戦って勝津ためのものであると本気で認識しているようでは中国武術や中華文明全体への認識と理解はまだまだ足りないことになります。
君子争うところなし、ということを考え、中国武術を練る者が中国武術をどのようにとらえるか、各自の認識の深さと中華文明への理解が試されるところです。
本日のブログが皆様の中国武術研究の参考になれば幸いです。