中国武術

重文軽武の世界 ~箸と筆より重いものを持たない~

重文軽武

皆さんは中国の文化を担った士大夫や郷紳という階層をご存知でしょうか。彼らは官僚として、大地主として、文化を担う文人として中国の社会で重要な位置を占めた階層です。

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中国武術をより深く理解するためには中華文明とそれを担う階層、またそれを構成する社会を理解することが不可欠です。本日は中国の重文軽武の価値観について解説します。

重文軽武とは

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重文軽武とは、字のごとく文事や文民官僚を重視し、軍事や軍隊、武人を軽視する政治体制や政策のことを言います。

三国時代の魏の初代皇帝となった曹丕も「文章経国大業、不朽之盛事」として、文学が栄えることが国家経営の大事につながり、国家の永寧と社会の平和、安定につながることと述べています。

重文軽武の背景

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中華文明が重文軽武の文化を持つに至ったのは、皇帝が文民官僚を科挙という教科試験によって登用し皇帝が彼らを使って天下を支配するという体制が長く続いたからです。

科挙

科挙は南北朝を統一した北朝の隋が始めた官僚の登用試験です。魏晋南北朝では九品中正法という官吏登用法が行われていました。

九品中正法とは官僚を9等級に分け、郡ごとに中正官という役職を任命し、中正官が人物と能力を見極めることにより豪族勢力を抑え込むことが期待された制度でしたが、地方の力関係を覆すに至らず、豪族層が世襲を行い貴族層が形成されるに至りました。日本語の上品という言葉はこの当時の状況を批判した言葉である「上品に寒門無く、下品に勢族無し」が出典です。

魏晋南北朝の北朝では有力者が貴族として政府の要職を独占する時代が続きましたが、武川鎮軍閥から勃興し南北を統一した隋の楊堅が家柄や身分に関係なく誰でも受験でき、学科試験に合格すればだれでも官吏になれるという科挙制度を導入しました。

学科試験により才能ある人材を巷から広く集めるという制度は当時としては他の地域で類を見ない画期的なものでした。唐代から設置された進士科は士大夫に重んじられた教養である経書や、作詩能力、そして策という時事の作文問題が試験に出されました。

宋代になると官僚たちが士大夫という階層を形成しました。科挙は誰でも受験ができる制度でしたが科挙に合格するためには、小さなことから労働に従事せずに学業に専念できる環境が必要であり、教科書、参考書の購入費、または家庭教師への授業料など莫大な費用が必要であり、これにより士大夫が士大夫を再生産する構造が出来上がっていました。

科挙官僚は貴族のような世襲ではなくあくまで個人の能力により登用されますので、科挙を輩出した一族は、指定の中から利発な子弟を選び、その子に教育を施し一族から少しでも多くの科挙官僚を輩出しようとしました。

教科試験の成績への偏重は官僚登用制度は年代を追うごとに大きくなり、科挙により登用された官僚は、詩や文章の作成能力と儒学的教養のみを文人の条件として重視し、政治経済の実務への無関心を誇る有様となりました。

趙匡胤が建てた宋では皇帝自らが科挙に臨席し審査する殿試という最終試験を課し、また第二代皇帝の太宗も太祖趙匡胤の方針を継承し文官の大量採用を行いました。

趙匡胤はもと後周の殿前都点検という地位の将校でしたが、幼帝に不満を抱いた幹部たちにより皇帝に擁立させられ、後周から禅譲を受けて宋を建国したとされています。このように五代十国においては武人による帝位簒奪が相次いだため趙匡胤はこのようなことが二度と起こらないように武断主義から文治主義への転換を目指しました。

趙匡胤は殿前都点検の地位を廃止し、禁軍(中央の直轄軍)の指揮は皇帝自らが取るものとし、軍人には部隊を指揮する権限しか与えないこととしました。また地方においていた節度使を徐々に権限を奪い、単なる名誉職とし代わりに大量に採用した文官に地方を管理させました。

五大十国時代では、武人の地位が比較的高かったのを、趙匡胤は朝廷の要職には科挙の合格者しか就けないように改め、殿試により皇帝が自ら官僚を任命するという方法で
官僚を皇帝が直接統括する皇帝専制体制を築きました。

宋の兵制

宋の太祖趙匡胤は皇帝に即位すると、地方を実質的に統治していた節度使から兵権をはく奪しました。そして節度使の兵のうち強兵を禁軍に組み入れ、残った弱兵を廂軍として地方に残しました。

廂軍は他の仕事に就けない者を収容したりする福祉政策の意味合いや、無頼の徒を軍に収容することによる治安維持の意味があり、実戦兵力としては使えないものでした。糧食の運搬等の後任作業や土木作業を行い、60歳で退役しその後は恩給で生活しました。

また宋では地方の軍の司令官と地方の兵士に癒着が起こらないよう、司令官の任地を数年ごとに変えました。

兵士は逃亡防止のために顔面に刺青が施されました。中華文明では刺青は罪人に施されるものであったため兵士の社会的地位が著しく低くみられる一因にもなりました。

これらの施策により、宋は地方軍閥の台頭を抑えることに成功しましたが、その代わり辺境の軍備の弱体化を招き、軍事面で北方の遼や西方の西夏に対して守勢に回らざるを得なくなりました。

武科挙

科挙には文官を登用するための科挙のほかに武人を登用とするための武科挙もありました。
試験の内容は、馬騎、歩射、地球や兵法書から問題が出題される筆記試験です。合格の程度はというと、弓術では全部そう外しだったり落馬しなければ合格という程度であり、科挙とはことなる審査基準を持っていました。

中華文明の中の重文軽武

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中華文明の伝統的価値観では、武官の地位は相当軽んじられており、同じ位階でも文官は武官に命令を下す権限を持っていました。武人は粗野で学識と教養がない野蛮な存在として受け止められていたというのが実情です。

重文軽武に関する成語や価値観

中国の庭園中国の庭園

ここでは中華文明における重文軽武にかかわる成語をいくつか紹介します。

好鉄不打鉄、好人不当兵

好鉄不打鉄、好人不当兵とは、いい鉄は釘にはしない、まともな人間は兵隊にはならないという意味です。釘になるのは屑鉄であり、良質な鉄は釘にされることはない、人間もまともな人間は兵隊になることはなく、兵隊になる人間は屑ばかりであるという意味です。兵とは兵隊、兵士、武官、兵卒、軍人(将官以外)、武術家を指します。

万般皆下品、惟有読書高

万般皆下品、惟有読書高とは、「すべてのものは皆卑しい、ただ読書のみが崇高である」という意味です。まさに箸と筆より重いものを持たず、袖そ裾の長い服を着て、それを汚さないような生活をすることが最も気高く高貴で、それ以外のあらゆるものはすべてが下品で
卑しいという意味合いです。

書中自有黄金屋、書中自有顔如玉

書中自有黄金屋、書中自有顔如玉とは、本の中には「黄金や玉のような宝石が散りばめられている」という意味では全くありません。書中自有黄金屋、書中自有顔如玉は、「読書と学問を志せば、黄金の邸宅に住むことができ、教養と学識があれば玉のような顔の美しい女性もなにもかもが思うがままである」
という意味の言葉です。

三年清知府、十万雪花銀

三年清知府、十万雪花銀は、三年地方官を務めれば賄賂を受け取らない清廉な働き方をした場合でも十万両の銀を貯めることができるという言葉です。またこれ以外にも科挙合格者は職役の免除や罪を金で賄うことができるという特権がありました。

よって一族の子弟に英才教育を施して科挙官僚にさせることはかなり割のいいビジネスといえました。「陞官発財」(官にのぼれば財を発することができる)ということも言われました。

武帝と文帝

中華皇帝や諸侯は、諡を就けられることがあります。太祖や成祖、武帝、文帝、文侯等様々ありますが、武帝と文帝がある場合、文帝のほうが武帝より格が上であることは常識です。
文帝とは、文章と徳、平和と協調により天下を治めたという皇帝という意味であり、武帝とは、暴力と威圧しか天下と人民を制圧することしかできなかったという烙印にも近い残念な諡です。

中華文明では、武力や暴力ではなく、文化、文章、徳を以て秩序を維持する者こそが天下を収めるべき本当の天子であるという認識が普遍的な価値観です。

福沢諭吉の学問のすゝめ

福沢諭吉の有名な著書である「学問のすゝめ」にも以下のように学問を学ぶことの重要性を説いています。

賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなりそのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし

人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり 下人 げにん となるなり。

重文軽武の世界のまとめ

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福今回は中国の重文軽武の世界について解説しました。このブログで、中華世界の兵、軍人、武人、武術ががどのような価値観の中に置かれていたかを認識いただけたと思います。

東洋(東洋は中国語では日本のみをさします)では武人による統治が長く続いたせいもあり、武人や軍人が比較的優遇される社会が形成されましたが、一方、中原社会(北方の夷狄、つまり蒙古族系、ツングース系などの諸民族を含むもの以外)では文官が武官を統制するといういわゆる文民統制と公平に文官を登用する試験制度が整備されていたこともあり、武人の社会的価値は東洋と比較して低くなっていました。

この価値観は近代になっても続いており、当時外国に「兵隊の勉強に行く」として中原を旅立って列強諸国に留学した若者はさぞ白い目で見られたことでしょう。

私は「でも中国武術という趣味こそは、中国の伝統を喃々と継承する高尚で気高いものである」とは全く思いません。

私も自分が嗜んでいるものはとても野蛮で下品、そしてとても卑しく、そして人の笑いものになるような恥かしい趣味だと思っています。ですから私は中国伝統武術を嗜んでいることを、特に台北地区ではあまり言わないようにしています。人様の笑いものになりますので。

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