本日は日本武道と中国武術の技術的な違いについて解説します。
![武術の立ち方](https://hanagakibugaku.com/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
結論から申し上げると、
- 日本武道は、合計の運動量の最小化、
- 中国武術は、負荷の均一化による動力分散構造
が特徴です。
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日本武道の合計の運動量の最小化について
![中国の風景](https://i2.wp.com/hanagakibugaku.com/wp-content/uploads/2020/01/tibet-4055582_1920.jpg?resize=872%2C581&ssl=1)
日本武道は一つの動作を最小の運動量で達成できるように工夫されています。よって動作全体がコンパクトです。予備動作も少なく、鋭い攻撃、防御が可能です。その代わり、小さな筋肉や関節に大きな負荷を課します。
例えば手首、前腕といった比較的小さな回転軸や筋肉に対して大きな負荷をかけ、合計の運動量を抑制します。
中国武術は、負荷の均一化による動力分散構造
![中国の庭園](https://i1.wp.com/hanagakibugaku.com/wp-content/uploads/2020/01/suzhou-4762599_1920.jpg?resize=889%2C590&ssl=1)
中国武術は、動作の負荷が体全体に分散されるように工夫されています。大きな回転軸、太い筋肉には大きい負荷を、小さい回転軸、断面積の小さな筋肉には、小さな負荷がかかるように設計されています。全体の運動量としては結果として大きくなりますが全体の協調という意味では優れた工夫が凝らされています。
![中国武術と筋トレ](https://hanagakibugaku.com/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
中国武術の攻防技巧において、もっとも大きな負荷を課すのは、大腿部の筋肉や臀部、股関節の回転軸です。それに合わせて、上半身の内面の深層筋を総動員し、拳を繰り出す際にも、拳部、腕、肩にかかる負荷を最小限に留めようとします。これにより、小さく細い筋肉や小さな回転軸への負荷を下げ、運動障害を最小限に留めることに努めます。
この考え方のデメリットは、合計の運動量が大きくなることと、全身協調の必要性から、それぞれの部位が協調して動くようにするための調整時間が必要であり、時間と手間がかかることです。
一度これを習得すれば、運動神経は動作の全体構造を記録しますので、自転車、スケートと同じく、一定期間の停止時間を置いてもすぐに動作構造が復旧します。
中国武術は動力分散構造を持っていますが、これを命令し指揮するのは、脳のであり、意念であり、これを運用するのは気の概念です。指揮所は一か所。そこから体の重心中央である丹田を主軸とながら、全身各部に対し同時に命令が下されます。
これらの概念は、私が考え出したものではありません。「意」「気」「神」という概念を使用して体を動かす考え方は、中国武術を練る中国人は普通に持っているものです。
今回はこれを日本語で比較的科学的な用語を借用して明文化を行ったにすぎませんが、中国武術としては、これらの概念は100年前にはすでに完成しています。(戦闘技術として、中国武術は100年の陳腐化があることは、別に事実としてあります)。
![ソフトウェアのアップデート](https://hanagakibugaku.com/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
日本武道の場合、小さい筋肉の強度に依存する構造が強いため、筋肉の力の状況が動作の如何に強く連動します。ただし、これについては、日本武道でも中国武術でも、筋肉ではなく、意念の力を使って筋骨への依存を最小限にしようという考え方は共通しています。
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まとめ
![中国の風景](https://i0.wp.com/hanagakibugaku.com/wp-content/uploads/2020/01/china-2700293_1920.jpg?resize=964%2C662&ssl=1)
以上が、本日の解説となります。
今回は、故意にこれらの概念を明文化して解説しましたが、本来はこれらの考え方前提で中国武術や日本武道を理解するのはよろしくないです。
本来の王道は、中国人の考え方の中で中国武術を自然にできるようになること、日本武道は門外漢ですがおそらく同じだと思います。そのためには、できるだけネイティブの老師といる時間を多く持ち、できれば中国の環境と中国の言葉で学ぶべきものを学んでください。
私は、今漢詩を日本語の書き下し分ではなく、漢文そのままに読み、中国人と同じ感性でそれを嗜めるように切磋琢磨中です。現在は非常にかなしきかな北京官話を元にした国語で漢文を考えていますが、本来は、漢詩が詠まれた時代の発音
- 曹植の漢詩であれば後漢末の洛陽・許昌
- 杜甫・李白であれば盛唐の長安
の発音と韻も学習し、習得するべきだと考えています。まだこの領域に達することはできていません。
残念ながら、私は中華文明を担う人間が受けるべき義務教育を受けておらず、高等教育でも国際ビジネスと金融学を専攻したため、素養が足りていません。
自分の学識、教養の不足を嘆きつつ「ない物は掴みとる」という精神をもって、それを実現するための現実的な行動を起こしつつ、引き続き研鑚に努めたいと思います。
![屈筋と伸筋](https://hanagakibugaku.com/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)