本日は、中国北派武術の立ち方の特徴について解説したいと思います。前回、中国北派武術は前傾姿勢をとることが多い、という件について以下の記事で解説しています。
今回は、左右の足幅の傾向について解説します。
目次
中国北派武術における左右の足幅について
中国北派武術では、弓歩(空手でいう前屈立ちに近い)について、前後の足を直線上、または前足のつま先と、後足踵の線が直線上となる位置に置きます。私が練習している程派八卦掌の支派「柔身連環八卦掌」では前足と後足の中心位置が一直線上に並びます。長拳・螳螂拳では、もう少しだけ足の幅を取ります。
これにはメリットとデメリットがあります。
足幅を一直線上またはそれに近づけるメリット
足幅を一直線上にするメリットは以下の通りです。
被弾面積の最小化
足幅を一直線上またはそれに近づけるメリットは、足幅を狭めることにより、相手から直視できる面積を最小限にできることです。これにより被弾率を下げることができ、もし当たった場合でも、打撃の力を反らす作用が強まります。
これは、現代の戦車が、前面の面積を最小限にする設計を行っているのと同じことです。これにより順歩捶(順突き)では強い半身になり、拗步捶(逆突き)でも断面積が減ります。
徒手拳術を想定する場合、胸筋、腹筋に耐性を持たせることにより、相手の拳撃の効果の耐性を上げることが可能です。
ですが、刃物、突起物による攻撃に対して、胸筋と腹筋は無力です。中国北派武術は、武器術由来の身体操作を根幹とするため、被弾を避けることを第一、被弾した場合の耐性強化は第二として考えます。
力学的な最大効率の追求
足の位置が直線に近ければ直線に近いほど、打撃のベクトルが鋭くなるため、前方に投射できる力量が効率的になります。同じセンス、同じ体重、同じスピードをもった人間の打撃力がより効率的になることを意味します。
短距離走のスタートの際、足に使用する器具をご存知だと思います。両足の位置は、肩幅に開いていますか?左右の足が干渉しないギリギリのところで中央に設置されているはずです。前方に体を展開させる際の最も効率的な両足の配置がこれです。
足幅を狭めるデメリット
足幅を狭めることには一定のデメリットがあります。まずは、左右の安定性が大きく損なわれることです。これについては、中国武術は、バランス能力を養うことによりこれを相殺する方法で解決策を見出します。
自転車は、前後にある2輪の車輪が完全な一直線上にあるにもかかわらず、走行中は相対安定を保ちます。同じように安定感を持ちながら、狭い歩幅で移動することは可能と考えます。
ただしこれはバランスを養成するための訓練が必要で訓練には時間と手間を要します。
南北で立ち方の違いが生ずる背景
南船北馬という言葉があります。南方の主な移動手段は船、北の主な移動手段は馬です。長江流域を含めた中国南方は運河と水路が網の目のように張り巡らされ、舟がなければ移動が困難です。
北方の異民族や長安、洛陽に都を定める北朝の軍隊が中国南方に進むと急に進行速度が遅くなり、武力に勝る北朝の軍隊が南朝を征服できず膠着状態が続いたことはこれに起因します。
船の上では、極端に歩幅の狭い姿勢は、安定性を欠くため不利な状況となり、それを生活の土台とする人々が考えた武術は安定感を優先し、歩幅をしっかりとるようになったのでしょう。
中国北方は、黄土の平原と見渡す限りの高粱、トウモロコシ畑の平野が広がっています。
石一つ見つけることが難しい黄河の沖積平野です。平らな地面では安定性は比較的簡単に
達成できたのでしょう。
また、歩幅の狭い弓歩で逆手の拳打を遠くに放とうとすれば、背中、腰、股関節を強くねじらなければなりません。これを行うには訓練が必要でこれにも時間と手間がかかります。
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中国北派武術と空手の立ち方の違いの考察
中国北は武術では打撃の拳の位置は体の正中線の真正面に置きます。胸真ん前、あるいは鼻の真ん前に拳が来ます。この打撃方法を横幅の広い立ち方で行うと打撃のベクトルが鈍角な二等辺三角形を描き効率的な力の利用ができなくなります。
一方、空手の逆付きは、肩の前に拳を出すため、上面から見ると体はH型の状態となります。よって、右手の逆付きの場合、右手の拳の反発力は、そのまま右足から地面に届き、三角形のベクトルについて考慮する必要はありません。
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まとめ
北派中国武術では、往々ににて歩幅は狭め、福建系武術では、肩幅の幅を取ることが多く、空手でも類似した形をとることが多いようです。一長一短、伝承者の考え、体系、体格、環境、様々な要素が幾重にも絡まり、現在の形が作り上げられています。
套路の振り付けをルーチンワークとして練習してもそれなりに上達していくものですが、いろいろなことを想像し、考え、検討しながら練習を行うことは頭のトレーニングにもなり、論理的思考の訓練にもなります。