みなさんは「君子危うきに近寄らず」ということわざをご存知でしょうか。簡単にいうと、教養があり徳のある人物は自分の行いを慎み、危険なところに自分から近づかないものである、と言うことです。
中国武術の精神を語る上で、「君子危うきに近寄らず」という概念を理解することは非常に重要です。
本日は「君子危うきに近寄らず」について解説します。
目次
君子危うきに近寄らず
君子危うきに近寄らずとは、「教養や徳のある人は言動を慎み、自らを危険に晒すような愚かなことはしない」と言う意味です。
つまり、常識を持った人格者は常識をもって行動しており、自分から世間の常識から外れることはしないし、安全と危険の分別が付き、危険を回避でき、尚且つ自分から面倒なことを起こさず人と衝突したりしない、と言う意味を持っています。
君子危うきに近寄らずの語源
君子危うきに近寄らずの語源については諸説ありますが、「春秋公羊伝」の中の「君子不近刑人」(君子刑人に近寄らず)つまり、君子のような徳のある人は罪を犯した危険な人間には近づかない、という説があります。
実際に、孔子の言論を残したとされる論語には、君子危うきに近寄らず、やそれに酷似した表現はありません。
君子危うきに近寄らずの類語
君子危うきに近寄らずには以下のような類語がありますので合わせて紹介します。
李下に冠を正さず
李下に冠を正さずは、誤解や疑いを引き起こすような行いはするべきではない、と言うことのたとえです。李とはスモモのことです。スモモが実った木の下で冠をつけなおしていると、スモモを盗もうとしていないのにもかかわらずスモモを盗んでいるように見えてしまいます。
疑われるような紛らわしい行動は避けるべきであるということを現した言葉です。
普段から疑われるようなことをしなければ疑われることを避けることができます。
瓜田に履を納れず
君子危うきに近寄らずの類語には、「瓜田に履を納れず」というものもあります。これも疑われるような行いは避けよという意味です。瓜畑で履物を履き替えていると売り泥棒と間違えられ怪しまれるということからでた例えです。
触らぬ神に祟りなし
関わり合いを持たなければ、災いは降りかからないということです。
君子危うきに近寄らずでは、行為者は君子ですので自分がしたことにこれを用いると、日本人には自画自賛をしたかのような印象を与えてしまうかもしれませんが、自身が教養と学識と人格がある人間であることを自称することは本来悪くないことですので使っても問題ありません。
もしそれを気にする方は、主体を特定しない「触らぬ神に祟りなし」を解釈し使うことが適しています。
雉も鳴かずば撃たれまい
余計なことを言わなければ災いを招くことはないというたとえです。
オスの雉は草むらで隠れていれば誰にも見つからないのによく「ケンケーン」と鳴きます。
自分の鳴き声で猟師に見つかってしまい撃たれてしまいます。
口は災いの元とも言いますが、何も言わず静かにしていれば標的にならずに済むということです。自分から関係のないことに口を突っ込んで巻き込まれてしまうことを避ける意味もあります。
君子危うきに近寄らずの対義語
君子危うきに近寄らずの対義語がありますのでこちらも紹介します。
藪を突いて蛇を出す
藪を突いて蛇を出すとは、余計なことをして面倒を起こし災難にあってしまうことのたとえです。
寝た子を起こす
寝た子を起こすとは、せっかく収まっている物事に余計なことをして問題を引き起こしてしまうことです。
中国武術と「君子危うきに近寄らず」の考察
君子危うきに近寄らずということわざは中国武術家にも大事な啓示を与えています。
「君子危うきに近寄らず」は、武術をやっていなければ出ることのなかった「血気の勇」、「蛮勇」でわざわざ自分をリスクの高い位置に置くことを戒めています。
賢明な人間は、行動や意思決定の判断をする際に、リスクと利得の両方を十分検討し、利得に見合わないリスクを負わないようにします。そしてリスクを負う可能性が高い軽はずみな行動を控えます。
ですが、武術の心得があるものはしばしば自分の実力に慢心し、負う必要のないリスクを取ることがあります。あかの他人の口論に介入し自分が巻き込まれる、謙譲して引き下がっていればいいところで我をだして人と衝突する等、とてもくだらない、そしてつまらないこと危うき状態を作り出します。
武勇伝を語る輩はほとんどが、避けられるリスクを自分で避けようとせず立ち向かい、たまたま運よく良い結果になったことだけを吹聴しているだけでしょう。おそらくその裏にはいくつもの黒歴史が積み重ねられてると思います。
君子危うきに近寄らず、これを念じ自分がしっかり認識していれば、避けられる可能性のあるすべてのリスクを避けることが可能です。
危うきに自分から近寄って、自分がちょっと怪我するだけならまだかわいいものですが、
それがあなたを地獄の底に陥れるために意図的に画策された巧妙な策略であったらどうしますか。
君子危うきに近寄らず、これを意識することで老獪な人物の企みからも自分の体、家族、財産、権益を上手に回避する智慧のある人間になることができるのです。
まとめ
本日は君子危うきに近寄らずということわざについて解説しました。
我々は生きていくうえでリスクを取ってチャレンジをしなければならないときはありますが、リスクを取る必要がないとき、わざわざ面倒ごとに首を突っ込んでしまうことを戒めることを「君子危うきに近寄らず」は我々に問いかけています。
学識と人格が優れた人物を目指し、危険、リスクを察知できるようになりましょう。
そしてつまらないこと、とりとめもないこと、謙譲すれば済むことで、感情に流されて無駄な衝突を起こしてしまうのではなく冷静で誠実で全体最適を見通した判断をしていきましょう。
本日のブログが皆様の武術生活の参考になれば幸いです。